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学術界も危ない〜大川原化工機冤罪事件が明らかにした経済安保暴走の闇

榎木英介病理専門医&科学・医療ジャーナリスト
大川原化工機の冤罪事件では、国と都に賠償を命じる判決が出た。(写真:つのだよしお/アフロ)

捏造で起訴の衝撃

 警察と検察が、政権の意向を忖度し、事件をでっち上げる…。

 そんな悪夢のような事件が世間を震撼させている。それが大川原化工機をめぐる冤罪事件だ。

そもそも犯罪が成立しない事案について、会社の代表者らが逮捕・勾留され、検察官による公訴提起が行われ、約11か月もの間身体拘束された後、公訴提起から約1年4か月経過し第1回公判の直前であった2021年7月30日に検察官が公訴取消しをしたえん罪事件。

大川原化工機事件(日本弁護士連合会ホームページ)

 軍事転用可能な機械を中国へと輸出した疑いで、大川原化工機やその他幹部が2020年に起訴された。しかし、1年以上の拘留の後、検察が突然起訴を取り消した。

 なお拘留中にがんが発覚した方は、治療を受けることすらままならず、拘留中にそのまま亡くなられている。また、立件にあたり捏造まで行われていたことが後の民事裁判で明らかになっている。

異例の「起訴取り消し」 ある中小企業を襲った“えん罪”事件 (NHK)

がんでも閉じ込められ…無実だった技術者の死 (NHK)

 上記NHK記事には、「粉ミルクや粉末コーヒーを作る機械がなぜ?」という見出しがつけられているが、軍事転用可能な機械を輸出したという起訴の根拠は、規制のあいまいさを乱用したもので、もともとかなり無理があるものだった。

 そして、こうした警視庁公安部・検察の主張を崩すために、技術者らが丁寧に反論証拠となる実験を積み重ねていった。

 そうした杜撰な起訴の背後には、捏造といえる事態があったことが明らかになっている。当時の捜査員がその後の民事賠償裁判で証言しており、また捜査の際に専門家として協力した研究者も、自身の発言を捜査担当者が曲解し、話してもいないことを報告書としてまとめられたと陳述している。

「大川原化工機」起訴取り消し裁判 捜査員が当時の対応批判 (NHK)

公安と検察の捏造に言及不足の大川原化工機判決 (東洋経済)

 こうした中、東京地裁が先ごろ検察と警視庁の捜査の違法性を認定した。当然の判決だ。

不正輸出めぐるえん罪事件 捜査は違法 国と都に賠償命じる判決(NHK)

 しかし、国と東京都は控訴した。

大川原化工機社長「あきれた」そして「やっぱりか」 国と東京都が控訴 警察庁長官が語ったのは…(東京新聞)

「大川原化工機」国賠訴訟、原告と被告双方が控訴…社長側「えん罪の真相を明らかにする」(読売新聞)

 読売新聞の取材に対して、法務・検察幹部は「判決は起訴に必要以上に高いハードルを課しており、今後の捜査活動に支障が生じかねない」と述べた。こうした認識である限り、経済安保に関連する冤罪が今後も続いていくのではないかという懸念を抱かざるを得ない。

背景には「経済安保」〜政治家へのポイント稼ぎ

 ぜなぜここまで警視庁公安部と検察が暴走してしまったのか。

 理由として指摘されているのが、経済安全保障(経済安保)を推進したいという政府の意向だ。

ある法務・検察幹部は「『経済安全保障に関連した事件を』というプレッシャーが警視庁にあったのかもしれない。会社側の意見にもっと耳を傾けていれば」と振り返った。

「違法認定」に驚き広がる 幹部ら、言葉少な―警視庁・大川原化工機判決 (時事通信)

 年末に放送されたNHKのETV特集は、経済安保に関する摘発を喜ぶ政治家の意向が背景にあったことを明らかにしている。

続報 “冤(えん)罪”の深層〜新資料は何を語るのか〜

警視庁公安部が「経済安全保障」の名のもとで『捏造』した冤罪事件の真相に肉迫するNスペの迫力(スローニュース)

 番組によれば、予算獲得の機会を狙っていた警視庁公安部外事一課第五係が、政治家が評価する経済安保に関する事件を摘発することで、組織の存在感を示そうとしていたという。また、捜査を指揮した第五係の係長は、のちに警部から警視へと出世をしている。

 対中警戒を背景にした経済安保は今でこそ聞きなれた単語で、2022年には経済安保推進法も成立しているが、大川原化工機の社長や役員が逮捕された2020年当時は、自民党の甘利明議員などが旗振り役として盛んに喧伝していた時期だ。

 経済安保推進に弾みをつけるには軍事転用可能な機器の中国への不正輸出という事件がもってこいであるということだ。実際、2020年当時は警察発表をそのまま鵜呑みにする形での報道が多数あった。

外為法違反罪で社長ら起訴 軍事転用可能機器不正輸出 (産経新聞)

 ETV特集では、政府の資料にもこの事件が事例として紹介されたことが指摘されている。

対岸の火事ではない

 経済安保推進のための冤罪でっち上げは、大学や公的な研究所などのアカデミア(学術界)も対岸の火事ではない。それどころか、産業界の大川原化工機の冤罪事件が進行形だった2020年、アカデミアが経済安保推進のための主戦場にされていた。

 当時、経済安保推進の旗振り役だった自民党の甘利明議員が、日本学術会議の任命問題にブログ記事で言及した。覚えている方も多いと思うが、中国の千人計画は高額報酬と引き換えに外国人から軍事技術を流出させており、日本学術会議はそれを後押ししているとの趣旨の主張をした。その主張に沿って、読売新聞は集中的に記事を発表し、中国の大学に勤務する日本人研究者らが多数バッシングされる事態となった。中には脅迫により殺害予告を受け、日本での学会発表が中止に追い込まれた研究者もいた。

 読売新聞は在中日本人研究者に対して、いわば「だまし討ち取材」や「発言捏造」といった、大川原化工機冤罪事件における警視庁公安部と同様のふるまいをしてきたのが実情だ。私が執筆した記事で明らかにしてきたとおり、これは事実に反する。

「日本からの応募が増えました」読売「千人計画」バッシングが加速させる「人財」の中国流出

「発言捏造」で賞狙う?読売新聞「千人計画」特集を憂う(Yahoo! エキスパート)

 日本の基礎科学研究者が中国の大学へ移籍するのは、「軍事の役に立つから」ではなく、むしろ日本では役に立たないとされ切り捨てられたためだ。そういった基礎科学の厳しい状況を、でっちあげのデマで覆い隠すのは日本の国益にとって害の大きいものなのだ。

 また、大川原化工機の冤罪事件でもみられたように、「軍事転用可能」の範囲を極端に大きく解釈していた。

 千人計画が高額報酬と引き換えに外国人から軍事技術を流出させるためものであるという前提は、アメリカの対中政策「チャイナ・イニシアチブ」を模倣したものだが、当のアメリカでは、その前提が間違いであることを認め、政府が謝罪するに至っている。

米国政府は謝った〜対「千人計画」「チャイナ・イニシアチブ」が続く日本の異様 (Yahoo! エキスパート)

 しかし、読売新聞はそのことをいまだ報道してない。これまでの千人計画報道を反省する記事もない。

 そして、現在のところ千人計画に絡む技術流出事件がないにも拘らず、公安調査庁は資料のなかに千人計画への脅威を掲載し続けている。

経済安全保障の確保に向けて2022~技術・データ・製品等の流出防止~

解像度の高い経済安保対策を

 この構図は、大川原化工機の冤罪事件と酷似していることがよく分かるだろう。読売新聞による在中日本人研究者へのだまし討ち取材・発言捏造も、政府の方針に沿って経済安保を推すものだ。

 政府にとってみれば、願ったり叶ったりだったのだろう。さしたる証拠がなくても、経済安保対策が重要という空気が醸成されれば、政策が後押しされるわけだ。そういう報道をした報道機関や記者は、大川原化工機の事件における警視庁公安部と同様、政府の覚えがめでたくなる。

 前述のように、関連の規制のあいまいさが大川原化工機の冤罪につながったことが指摘されているが、これをみれば、あいまいな規制基準につけこまれ、大学関係者が冤罪事件に巻き込まれるという話は杞憂ではない

 規制のあいまいさを利益にする存在がいるのではないかという指摘もある。

新たな天下りの予兆? 経済安保担当役員を調べたら (毎日新聞)

なんでも「経済安保」 はや利権の臭い (FACTA)

 いずれにせよ、解釈によってどうにでもなる状況は危ない。こうした状況は、経済安保が本来目的とした対中警戒の上で日本にとって本当にプラスなことなのだろうか?

 無実の技術者が拘留中にまともな治療も受けられず亡くなられたことが、日本の国益にとってプラスだとはとうてい思えない。また、日本の大学の運営交付金削減などの影響で、日本では「役に立たない」とされ、職がなくやむを得ず中国へ渡った基礎科学研究者に対して、「高額報酬と引き換えに軍事技術を売り渡した売国奴」とバッシングすることは、安全保障上意味がないうえ、極端な「選択と集中」により窮状に陥っている日本の大学の苦境を覆い隠してしまう。

 対中警戒の重要性は言うまでもない。だからこそ、あいまいさを排し、解像度を高めた対策が必要だ。政治家へのポイント稼ぎなどが先行し、「デマでも経済安保を盛り上げればそれでよい」という姿勢では自国に対して害があるばかりで、本来の目的である対中警戒は果たせないはずだ。

 誤った対策が、日本を中国のような自由も人権もない国に向かわせているとしたら、これ以上の皮肉はない。

追記 2024年2月14日

 毎日新聞のスクープにより、都合の悪い実験データを除外するなどの不正を行っていたことも明らかになった。

警視庁公安部、不利な実験データ除外し報告か 起訴取り消し事件

 研究者なら職を失い、研究者生命を絶たれてもおかしくない不正行為だが、これまでに警察側で処分された人はいない。

追記 2024年2月19日

 2月18日に放送されたNHKスペシャルがこの問題を取り上げた。

続・“冤(えん)罪”の深層〜警視庁公安部・深まる闇〜初回放送日: 2024年2月18日

 年末に放送されたETVの番組の再構成に近い番組であったが、非常によいできだったと思う。可能ならぜひご視聴いただきたい。

病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

1971年横浜生まれ。神奈川県立柏陽高校出身。東京大学理学部生物学科動物学専攻卒業後、大学院博士課程まで進学したが、研究者としての将来に不安を感じ、一念発起し神戸大学医学部に学士編入学。卒業後病理医になる。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表理事。フリーの病理医として働くと同時に、フリーの科学・医療ジャーナリストとして若手研究者のキャリア問題や研究不正、科学技術政策に関する記事の執筆等を行っている。「博士漂流時代」(ディスカヴァー)にて科学ジャーナリスト賞2011受賞。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。近著は「病理医が明かす 死因のホント」(日経プレミアシリーズ)。

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