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坂本龍一、最後のコンサート映画『Ryuichi Sakamoto | Opus』の実直さの秘密とは?

© KAB America Inc. / KAB Inc.

「最初で最後の」坂本龍一のソロ・コンサート映画

あれからもう一年になる。2023年3月28日、日本を代表する稀代の作曲家・音楽家である坂本龍一が世を去った。YMOの一員として世界を席巻、「教授」との愛称でも知られていた彼の他界が、社会的に大いなる衝撃をもって受け止められたことは記憶に新しい。そんな彼が病を押して収録したピアノ演奏が、ひとつのコンサートとして長編映画となった。その一作『Ryuichi Sakamoto | Opus』が、まもなく公開される。一足先に試写にて本作を「体験」した感想を、ここに記してみたい。

『Ryuichi Sakamoto | Opus』ポスタービジュアル © KAB America Inc. / KAB Inc.
『Ryuichi Sakamoto | Opus』ポスタービジュアル © KAB America Inc. / KAB Inc.

この『Opus』に収録されている音楽は、最初から最後まで、坂本龍一によるグランド・ピアノの演奏のみだ。出演者は、彼ひとりしかいない。全編モノクロームにて撮影されたこの演奏は、22年の9月、幾度かに分けてNHKの509スタジオ(坂本いわく「日本でいちばん音のいいスタジオ」)にて収録されたもの。というと坂本ファンならば22年の12月にオンラインで期間限定で配信公開されたコンサート『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』を思い出すだろう。同作を大幅に「拡張」したもの、言うなれば完全版がこの『Opus』だと言える。

両者の違いとしては、たとえばまず、曲数が増えたこと。『Playing the Piano 2022』は13曲だったのだが、こちらでは20曲。以下、登場順に……

「Lack of Love」「BB」「Andata」「Solitude」「for Johann」「Aubade2020」「Ichimei- small happiness」「Mizu no Naka no Bagatelle」「Bibo no Aozora」「Aqua」「Tong Poo」「The Wuthering Heights」「20220302 - sarabande」「The Sheltering Sky」「20180219(w/prepared piano)」「The Last Emperor」「Trioon」「Happy End」「Merry Christmas Mr.Lawrence」「Opus - ending」

……という曲目となっている。もちろん選曲はすべて、坂本龍一本人がおこなった。

さらに、映像および音声においてかなり細かい再編集がおこなわれていて、配信時と比べて、より「映画作品」としての構築度が増している。ピアノの弦を叩くハンマーの接写と、演奏する坂本の手のアップ、下がった前髪が表情を隠す様――といった短いカットの数々が、流れゆく音と有機的に結合しながら「楽器が演奏されて、音楽が進行していく」状態を活写してくれる。だからコンサート映画でありながら、一種の音楽ドキュメンタリーとしての手触りもある。まさに映画的に、いや「映画でしかあり得ない」方法でもって、坂本龍一のソロ・ピアノ・コンサートを体験させてくるのが本作なのだ(だってどんな高額チケットを買ったところで、坂本が演奏中のピアノ内部に観客が入れるわけはない!のだから)。

特殊空間にて「芸術と格闘」する映画

本作の「映画的」仕掛けの最たるところは、空間の表現だ。たとえば徹底的に素朴な「コンサート映画」ならば、カメラは一台据え置きで、ステージの全景さえ映っていればいい、のかもしれない。壇上で演奏する人の姿とその音を、ただただとらえていればいい、とか――だがしかし、本作『Opus』を前にすれば、そんな手法は怠惰でしかないことがわかる。こちらではカメラが、マイクロフォンが、そのあとの編集や整音作業が「演奏されていた音楽そのもの」と「演奏していた人物そのもの」の存在を映像作品として織り上げていくために、激しく、果てしない「格闘」を繰り広げているかのようなのだから。

その格闘は、冒頭すぐに始まる。当初、カメラはスタジオでピアノの前に座る坂本から、すこし離れた位置にいる。彼の背中側から、近づいていく。近くなればなるほど「ピアノの音が大きくなってくる」――そう、まるで我々は「カメラとともに」坂本に接近していくような感覚を得られるのだ。「現実にはあり得ないほど」演奏者や楽器に接近できるような感覚を「映画的手法によって」体感させられるのが、本作の特徴だと言える。

そしてこの「距離の変化」や「空間表現」において、きわめて大きな効果を発揮しているのが、本作の「音のありかた」だ。遠くから近づいていくと、当然、音はどんどん大きくなる。よりくっきりと明瞭に聞こえるようにもなる。低音の響きも、より重く深くなって――といった、いわゆる「アンビエント効果」が絶妙で、これによって我々は「坂本がいるスタジオのどこか」に自分もいるような感覚を得る。ときに雑音も混じるような、室内に反響する音と「ハンマーが弦を叩いた瞬間の音」が、映像の変遷に合わせてシームレスにつながっていく様は、まさに圧巻だ。演奏現場でのレコーディングとミックス、そして整音を担当したのはZAKフィッシュマンズ・ファンならご承知の、ライヴやスタジオ・アルバムにて、幾多の名演や名作を世に残してきた達人だ。彼の得意技である、レゲエ由来の「ダブ」という手法は、各種の残響を駆使して原曲にアレンジを加えるもの。つまり「響き」をコントロールするZAKの高い技量にて、半ば仮想的な「音空間」が構築されているのが、本作における「演奏の光景」というものなのだ。

仮想なのだから、ときにそれは、現実よりも誇張された音として観客を圧倒する。僕は本作を、坂本龍一本人が音響システムを監修した「SAION -SR EDITION-」を備える109シネマズプレミアム新宿で観たのだが、驚愕したのは「ドグワッ」というような、異様な音の存在だった。うっすらとだが、奇妙なこの「異音」が、坂本の演奏に重なって幾度か聞こえてくる。おそらくこれは、坂本が「ピアノのラウドペダルを踏んだ」ときに、急激に音場が広がって弦の響きが増幅された瞬間のノイズなのだ――と理解したのだが、そんなもの、これまでの人生で一度も僕は認識したことはなかった。

坂本龍一、まさに崖っぷちでの絶技

こうした特殊な「音空間」のなか、「たったひとりで」演奏するのが、坂本龍一なのだ。映画が始まってすぐ、つまり彼の演奏が始まってすぐ、これもまた「格闘」と呼ぶべき行為であることを、我々は認識せざるを得ない。病身である彼が「真剣にピアノを弾く」ことが、どれほどの重労働であったことか。あるいは、神経をすり減らすような刻苦であったことか……ということが、まさに「痛いほど」伝わってくるのだ。これこそがまず、彼が「伝えたかった」ことなのかもしれない。

だってなにも「たったひとりで」演奏しなくても、いいではないか。仲間や後輩、支援者とともに、リラックスした演奏を収録したって、いいじゃないか。なぜにそんな、苦行のような、足を滑らせた途端に奈落へと墜落していくかのような、ギリギリの場所に自らを置くのか――これら当然の疑問への坂本の答えは、おそらく僕は「それが自分の音楽だから」といった、シンプルきわまりないものではなかったか、と想像する。なんせこの映画のなかの坂本は「失敗」までするのだから。「もう一度やろう」なんて言うのだから。彼は「そんなシーンすら」収録して、きちんと映画のなかへと織り込みたかった、のだから。

本作における坂本の演奏は、流麗とは評し難いものだ。かつて、若き日の坂本龍一は、かなり難解な曲をも平気で弾きこなせる優秀なピアニストだった、と本人が語っているのを読んだことがある。そうした時代のテクニック、あるいは運動能力の冴えは、とくに見られない。これは衰えたということではなく、「そのように弾くものではなかった」から、こうなったのだと僕は理解する。つまりこれは「作曲家が自作を弾くピアノ」なのだから。

小説家が自作を朗読するかのように、彼はピアノを

収録曲は、基本すべて坂本が「書いた」曲だ(「Trioon」はアルヴァ・ノトとの共作)。彼自身の内部から引き出して、「形」にしたものだ。だから僕には、『Opus』での彼のこの状態は「自作を朗読する小説家」のようにも見える。日本ではあまり一般的ではないが、米英においては、小説本などのプロモーションとして、作家が書店を「ツアー」して、朗読会を開くことがよくある。もちろんプロの俳優などに比べれば、あまり上手には読めないかもしれない。しかし読者は「書いた人」である作家その人の肉声にて、作品を読み上げてほしいものなのだ。自分が愛読しているその文字列と、作家の内なる波動との「重なり合い」を、実地で体験したいのだ――。

つまり我々観客は、この映画において「坂本龍一という作家が、自作を朗読する」のを聞いているかのような体験ができるのだ。ときに楽譜とは、小説などの文芸作品にも似ている。最初から最後まで「書いてある、その順番に」演奏(読み)進めていかないと、基本意味をなさないものだからだ。それゆえに、「訥々と」ではあるけれども誠実に、本作の坂本は、自らが書き上げた「ストーリー」を、次から次へと弾き続けていく。

そこで気づくのは、どの曲もじつに「感情を深くゆさぶる」ことだ。収録時の坂本の体調を慮って、観客側が感傷的になっている部分はあるのだろう。しかしそれにしても、ときにまるで演歌や歌謡曲のように、聴き手のなかにエモーショナルな情動を呼び起こすのが、坂本作品の特徴のひとつであることを如実に示す瞬間がある、のだ。だから彼は、映画音楽の世界で屈指の巨匠の地位にまで昇り詰めていったことを、観客は思い出すだろう(映画音楽とは、ロマン派音楽の末裔だからだ)。つまり「映画として」再構築されたピアノ・コンサートにて、「映画音楽家としての」坂本の底力を見せつけられることにもなる。しかも、まさに、おそらくは「彼がそのスコアを書き上げたとき」とほぼ同様の、「ピアノと作曲者だけ」の状態での演奏にて。

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ボウイのケレン味、坂本龍一の実直

さらに言うべきは、この特異なしつらえの映画のなかで観る「グランド・ピアノという物体」の揺るぎなさだ。痩せた坂本が、その指が、いかように触れようともその全体はびくともしない、黒い巨躯なのだ。なにをしようが、わずかにハンマーやペダルが動く、だけなのだ。しかしそこに(格闘のように)挑んでいく坂本の姿に僕は、まるで人力飛行機を動かそうとしている情熱家のような様子を幻視した。今日的な、鳥人間コンテストに出てくるようなものじゃない。言うなれば、ダ・ヴィンチが考案した飛行機械のような。飛ぶか飛ばないかわからない(たぶん飛ばない)ような人力機械を、懸命に懸命に操作している人のような姿だ。ただひたすらに、空へ、空へと向かって愚直に漕ぐ人のおこないだ。

この坂本の、音楽への、芸術への純粋無垢な情熱のありようが根本に存在するゆえ、本作は観る人の心を打つ。なぜならばこれは、坂本龍一が生涯にわたって信じ続けた「人間の善性」への献身と同質のものだからだ。環境保護、反戦そのほか、人類の未来に「ほんのすこしでも」肯定的な道筋を作っていくための、地道きわまりない活動に対して、坂本は善意の支援者となることが多かった。彼のその行為は、芸術とは、音楽とは「つねに人とともにある」ものであり、そして人類が未来へと命をつないでいく際に貢献できるものでありたい、という思想と地続きのものだったのだと僕は考える。それは「とことんまで、人間の可能性を信じる」ような態度ではなかったか。ゆえに坂本龍一は「たったひとりで」生命の炎を最後の最後まで燃焼させることによって、自らの音楽の本質を開陳したかったのではないか、この映画に刻印したかったのではないか、と僕は感じた。

ここで想起されるのは、映画『戦場のメリークリスマス』(83年)にて彼と共演した、デヴィッド・ボウイの逝去時だろうか。2016年、やはり病に倒れたボウイは、充実したアルバムを仕上げた上で、その発売日(彼の誕生日だった)の2日後に世を去った(と発表された)。最後の最後に、まるで歌舞伎役者が大見得を切るかのような態度のキメっぷりで人生を締め括ったボウイと比較するならば、なんと坂本とは実直な人柄だったのか、と感じ入らずにはおれない。

曲を書く。それを弾く。最後の最後まで、責任を持って。たったひとりで――それゆえに、この「労苦」ゆえに、「Tong Poo」の演奏中に彼が一瞬見せた表情の輝きは、格別のものがあった。これぞ坂本龍一の音楽の「楽しさ」と、彼自身が合一した瞬間だったのかもしれない。決してお見逃しなく!

できるかぎり「いい音」で

もっとも、だからと言って本作が、なにか堅苦しい、居住まいを正して観なければならない「シリアスな」一作かというと、そんなことはない。コンサート映画なのだから、自分のペースで、自由に楽しむのが一番だ。坂本龍一の実子でもある、本作の監督、空音央(そら・ねお)も、試写会での上映前、マイクを手に同様の主旨のことを言っていた。なにしろ演奏ばかりなので、もし眠くなったら寝てもいいと思いますよ、と(場内になごやかな笑いが湧いた)。さすがに僕は寝なかったが、しかし没入しすぎて気が遠くなる瞬間は、幾度かあった。それもまた、かなり気持ちいいものだったとここに書いておきたい。

という本作なので、できるかぎり音がいい劇場で「体験」してみることをお勧めしたい。4月26日、前述の109シネマズプレミアム新宿にての先行公開がある。そののち、5月10日から全国公開となる予定だ。

配給:ビターズ・エンド

作家。小説執筆および米英のポップ/ロック音楽に連動する文化やライフスタイルを研究。近著に長篇小説『素浪人刑事 東京のふたつの城』、音楽書『教養としてのパンク・ロック』など。88年、ロック雑誌〈ロッキング・オン〉にてデビュー。93年、インディー・マガジン〈米国音楽〉を創刊。レコード・プロデュース作品も多数。2010年より、ビームスが発行する文芸誌〈インザシティ〉に参加。そのほかの著書に長篇小説『東京フールズゴールド』、『僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ』、教養シリーズ『ロック名盤ベスト100』『名曲ベスト100』、『日本のロック名盤ベスト100』など。

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