Yahoo!ニュース

「少子化は恋愛力の低下?」恋愛力を高めても、むしろ出生率は下がる

荒川和久独身研究家/コラムニスト/マーケティングディレクター
(写真:イメージマート)

恋愛力の低下などない

昨日、ツイッターのトレンドに突如として「恋愛力の低下」という言葉が登場した。その元になったのは、”少子化の要因は「恋愛力の低下」”という見出しの毎日新聞の記事である。以下、引用する。

24日に開かれた三重県議会一般質問で、県が2023年度当初予算案で少子化対策として掲げる「結婚支援」を巡り、自民会派の石田成生議員(四日市市選出)が「結婚を望む人が少なくなった原因は恋愛力が落ちてきているからではないか」と持論を展開し、県に「恋愛力」という視点からの調査・検証を求めた。

しかし、そもそも、「恋愛力の低下」などはこの日本において存在などしていない。「最近の若者は草食化」や「若者の恋愛離れ」と同様、エビデンスに基づかない思い込みによる完全なる間違いなのである。より正確にいえば、「そもそも低下といえるほどもともと日本人の恋愛力は高くない」のだ。

恋愛強者は3割だけ

私は、常々「恋愛強者3割の法則」と言っているが、恋愛強者はせいぜい3割程度のもので、残りの7割は恋愛弱者である(中間層4割、最弱者層3割)。

少なくとも、出生動向基本調査において、統計の残る1982年からの「恋人がいる割合」の長期推移を見ても、大きくみれば男女とも大体3割前後でしかない。

よくメディアが「若者の恋愛離れ」と言いたいがために、切り取り報道する場合がある。その際には、もっとも割合の高かった2000-2005年を始点としたグラフを使用している。そこから見れば、右肩下がりに見えるが、もっと引いてみれば、40年前の水準に戻っただけの話でしかない。

以前も、「デート未経験が4割」という、俯瞰的視点を欠いた切り取り報道の間違いを指摘している。

「デート経験なし4割」で大騒ぎするが、40年前も20年前も若者男子のデート率は変わらない

思い出してほしいのは、1980年代は日本中が恋愛至上主義に浮かれていた時代である。

クリスマスデート文化が生まれたのもこの頃であり、恋愛物のトレンディドラマが流行り、ホイチョイ・プロダクションの「私をスキーに連れてって」の時代設定もこの時代だ。今、20代前半の若者の母親世代が麻布十番のディスコ「マハラジャ」のお立ち台で踊っていた時代でもある。

そんな恋愛至上主義時代の若者も2021年の若者も、恋人がいる割合がほぼ変わらない。それがファクトである。

写真:Fujifotos/アフロ

皆婚実現できたのは環境のおかげ

これも繰り返し言い続けてきているので、本人的にも読者的にも飽きがきているかもしれないが、まだ浸透していない層も多いのでご容赦いただきたいのだが、

1980年代まで日本が皆婚だったのは、決してその頃までの若者に恋愛力があったからではない。お見合いや職場結婚という社会的な結婚のお膳立てシステムによるものであり、だからこそ7割の恋愛弱者もなんだかんだ結婚相手を見つけることができたのだ。

昨今、婚姻数が激減しているというが、減った分とは「お見合いと職場結婚の減少数」と完全に一致するのであり、いわばお膳立てなき後の恋愛弱者の成れの果てにすぎない。

現在還暦あたりのおじさんが「俺の若い頃はモテたもんだ」などというのは大体大嘘で、今の若者とかわらず「彼女、できねえかなあ」などとぼやいていたに違いない。そうしたおじさんが結婚できたのは、決して彼の恋愛力ではなく、環境のおかげである。

その環境には、結婚のお膳立てシステムに加えて、当時は「未来は明るい」という経済的希望もあった。

恋愛力をあげても出生率はあがらない

少子化は婚姻減なのだから、こういう視点で若者の結婚支援をしようとする考えには賛同する。それは課題抽出としては間違っていない。しかし、結婚数や出生数を増やすことと、若者の恋愛力を高めることとは必ずしも相関しないのである。

前掲した1982年からの「恋人がいる割合」と合計特殊出生率との相関をみると、男で▲0.4812、女では▲0.6297という負の相関がある。特に、女性では「恋愛力が高まれば高まるほど出生率は下がる」という強い負の相関すら見られる。

ちなみに、「恋愛即出生にはならない」というご指摘もあるだろう。

恋愛中のカップルが結婚に至るまで平均4年の交際期間を経るというデータもある。出産までプラス1年として、対比する出生率を5年ずらしにしてみたところで、むしろ女性の相関係数は▲0.8081となり、より限りなく1に近づく強い相関となることを追記しておく。

要するに、恋愛力などいくら高めたところで出生率はあがらないのである。

できないことはできない

そもそも、よくある詐欺的な恋愛セミナーでもあるまいし、恋愛力を高めるなんてこと自体が土台無理な話なのである。人にはそれぞれ向き不向きがある。どんなに練習したからといって、100mを誰もが10秒台で走れるようにはならない。

少子化対策に関しても「できもしないことをさもできるかのように誤認させて」煽る政治家もいるが、それと同じだ。

「できもしないことを頑張ればできるようになる」というのは一見ポジティブな言葉に見えるが、それは「頑張ってもできないのはお前の問題だから」という自己責任化に帰結するだけである。政治家としては都合がいいかもしれないが、それでは結局何も変わらない。

勉強や筋トレと違って、頑張ったところで恋愛力などあがらない。上手なLINEの返し方とか、デートの場所の選び方とか、そんなものは恋愛力ではない。そんなものを知識として習得すればモテるのであれば、1980年代以降の恋愛弱者男たちが「ホットドッグプレス」などを愛読したりしない。そして、そのことごとくが、そこに書かれていたマニュアル通りのデートをした上でフラれている。

写真:イメージマート

政治がやることはそこじゃない

恋愛力などは、どうでもいいのだ。そんなものは、3割の恋愛強者に任せておけばよいのである。政治が口出しする話ではない。

大事なのは、恋愛できない人間は、恋愛力云々の前に自分に自信を持てないという点を見ることだ。自信がないから、失敗する未来を想像してしまいがち。勝手に想像した失敗の未来を避けるためにそもそも行動をしない。行動しないから何も現実は変わらない、変わらない未来に希望も持てないという悪循環に陥る。

では、若者が自信も持てない、未来に希望も持てないのはなぜか?

そこを政治は考えてもらいたいのだ。

恋愛以前の問題なのである。若者が置かれているのは、そんな浮わついた感情以前の過酷な現実の環境なのだ。20代の半数以上が可処分所得で300万に達しない社会とは、どんな貧困国家なのだろう。

恋愛に関しても、別に昭和のお膳立てに戻れと言いたいのではないし、そんなことは無理である。しかし、だからこそ、今大人たちが若者に用意してあげられる「令和のお膳立て」とは何か?を真剣に考えていってほしいものである。

「俺が若い時にはな…」の話も、的外れな思い付きはもういいから。

関連記事

「出世もお金も結婚も子を持つことすら無理だ」という若者たちの未来予想図

結婚どころではない若者~給料が増えたように見せかけて、手取りがむしろ減らされている

イマドキの若者の「性体験無し率は44%」だが、恋愛至上主義時代を生きたおじさんはどうだった?

-

※記事内グラフの商用無断転載は固くお断りします。

※記事の引用は歓迎しますが、著者名と出典記載(当記事URLなど)をお願いします。

独身研究家/コラムニスト/マーケティングディレクター

広告会社において、数多くの企業のマーケティング戦略立案やクリエイティブ実務を担当した後、「ソロ経済・文化研究所」を立ち上げ独立。ソロ社会論および非婚化する独身生活者研究の第一人者としてメディアに多数出演。著書に『「居場所がない」人たち』『知らないとヤバい ソロ社会マーケティングの本質』『結婚滅亡』『ソロエコノミーの襲来』『超ソロ社会』『結婚しない男たち』『「一人で生きる」が当たり前になる社会』などがある。

荒川和久の最近の記事