シリア軍をめぐる「謎」:なぜ参謀総長は不在だったのか?

(写真:ロイター/アフロ)

7月8日に報じられたシリア軍・ムハーバラート内での前代未聞の大規模人事改変(拙稿「シリア:軍・ムハーバラートで異例の大規模人事異動、ロシアが介入か?」を参照)は、10日にロシア・トゥデイ(RT)が、その一部を否定、アリー・マムルーク国民安全保障会議議長(少将)が副大統領に内定とディーブ・ザイトゥーン総合情報部長(少将)の国民安全保障会議議長に任命は事実に反すると伝えた。

軍・諜報機関の人事、組織構成、そして活動は、国家安全保障にかかわる機微を含む問題であるため、不明点が多いのは当然であり、シリアのような国となれば、それはなおさらのことだ。

制度重視の思考

そんなシリア軍には、今回の人事以外にも「謎」が多い。その一つが参謀総長の不在である。

バッシャール・アサドが大統領に就任(2000年7月)して以降、参謀総長は副参謀長職を務める人物が就任するようになった。これは、軍・ムハーバラートとの個人的な人間関係を重んじ、サプライズ人事を行う傾向が強かった父ハーフィズ・アサド前大統領とは異なる現大統領独自の手法で、「制度重視の思考」(アラビア語で「フィクル・ムアッササーティー」)などと称された。

この「制度重視の思考」に基づいて、最初に参謀総長に就任したのは、ハサン・トゥルクマーニー副参謀長(少将)だった。彼はアリー・アスラーン参謀総長(1998年7月に就任、少将)が2002年1月に退役したのを受けて、エスカレーター式に昇進した。このトゥルクマーニー参謀総長が2004年5月に副大統領補佐官(閣僚級)に任命されると、アリー・ハビーブ副参謀長(少将)がそのあとを継いだ。2009年8月には、ハビーブ参謀総長の国防大臣就任を受けて、ダウード・ラージハ副参謀長(少将)が、そして2011年8月にはラージハ参謀総長の国防大臣就任を受けて、ファフド・ジャースィム・フライジュ副参謀長(少将)が参謀総長となった。

シリアへの「アラブの春」波及に伴い、反体制派の武装闘争が激化した2012年7月、ラージハ国防大臣が、アースィフ・シャウカト国防副大臣(少将)、トゥルクマーニー副大統領補佐官とともに首都ダマスカスでイスラーム軍に暗殺された際も「制度重視の思考」は貫徹された。ファフド・ジャースィム・フライジュ参謀総長が国防大臣に就任し、アリー・アブドゥッラー・アイユーブ副参謀長(少将)が参謀総長に任命されたのである(「シリア:爆殺で国防相らが死亡」(中東調査会・中東かわら版No. 79、2012年7月19日)を参照)。

なぜ参謀総長は不在だったのか?

しかし、2018年1月にアイユーブ参謀総長が国防大臣に任命されて以降、参謀総長職は空席となった。また副参謀長も2018年4月30日にサリーム・ハルバー少将が就任するまで任命されることはなかった。最終的にはこのハルバー少将が2019年4月1日に参謀総長に就任したことで、一件落着はした。

ハルバー少将はラタキア県東部の農村の出身で、2012年頃から親政権、軍事戦略アナリストとしてロシア、イランのメディアに登場したが、その後メディアへの露出は減り、2016年頃からラタキア県北部での反体制派との戦闘を指揮するようになった。

陸・海・空・防空部隊の指揮命令系統を統括する参謀総長が1年以上不在だというのは常識では考えられない事態であり、その理由をめぐってはさまざまな憶測を呼んだ。

これに関して、アサド政権に反対の立場をとるイスラエルの国家安全保障研究所(INSS)は「ロシアとイラン:シリアの蜜月は終わりか?」(2019年5月27日)という報告書のなかで、参謀総長人事をめぐって、アサド政権を支援するロシアとイランの間に軍人事をめぐる主導権争いがあるとしたうえで、ロシアに近いとされるハルバー少将が参謀総長に就任したことで、イランやヒズブッラーに近い軍幹部の影響力が低下しつつあると指摘した。

真偽はともかく、8日に報じられたムハーバラート内での異例の人事改変を含め、アサド政権を前面支援してきた二つの大国は、そしてまたイランに対する米国の圧力がにわかに強まるなか、シリア内戦後の秩序作りをめぐって水面下の綱引きを行っているようである。