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市民的不服従というアクティビズムがノルウェーで浸透している理由

鐙麻樹北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員
イラスト:ノルウェー映画『Sivil ulydighet #2』

世界11位の石油生産国であるノルウェーは、国際的には「気候フレンドリー」とい印象を持たれている「矛盾を抱える」国だ。この国に住んでいると、毎日の生活のどこかで、市民が環境・気候対策を求める抗議活動をしている現場に遭遇する可能性が高い。

国会前での抗議やプラカートを掲げるなどの活動のほかに、「市民的不服従」という「非暴力的手段で違反行為をする」抗議活動がある。違反行為だから、警察に連行されて、罰金を支払ったり、法廷で証言することもある。

そのような派手で違法な抗議活動は、ノルウェーでは「よくあるアクティビズム」だったりする。知人や普段取材している人たちや団体も、たまに警察に連れていかれ、SNS「フェイスブック」で罰金を支払うためのお金を募っている。このような光景は珍しいものではない。日本にいると信じられないかもしれないが、ノルウェーに住んでいると「市民的不服従」「違法行為で警察に連行される抗議活動」は、「距離が近い」存在になる。ノルウェーの国会議員や大臣にも、「政党の青年部にいた時代に警察に運ばれたことがある」なんてエピソードはあったりする。

ノルウェーで市民的不服従の印象を変えた「アルタの闘い」

市民的不服従がこの国で「市民運動」「アクティビズムの一種」として受け入れられているのには「アルタの闘い」という歴史が関係している。1968~1982年に起きた政治的争いで、ノルウェー政府によるアルタ川での大規模な水力発電開発に対する反対運動が起こった。自然と共存する先住民サーミ人と環境活動家たちは連携して国と争い、工事現場では鎖で自らを工事車両に縛り付ける市民的不服従やハンガーストライキが行われた。

ダムは建設されたが、14年の争いは今もノルウェーの社会運動に大きな影響を残している。この事件をきっかけに、ノルウェー市民は「自国に先住民がいること」を驚きを持って知ることとなる。国がしてきた同化政策の内省がされ、サーミ政策やサーミの人権を取り戻す動きを促進させ、自然・環境への配慮の転機となった。この歴史によって、「市民的不服従」はノルウェーでは必ずしもネガティブな意味を持っておらず、「時には社会をより良い方向に動かすために、必要なアクティビズム」という市民権を得たのだ。

意外と怒らない人も多い

もちろん、違法活動をされて怒る市民もいる。「市民的不服従」を意味するノルウェーのドキュメンタリー映画『Sivil ulydighet #2』(2022、Thomas Østbye監督)では、活動家らが石油輸送をする車両の前に座り込み、自分たちを鎖でつなぎ合い、道路から動こうとしない姿が映っている。仕事を邪魔された運転手は怒りを露わにして、活動家たちを無理やり道路の脇に移動させたりする。

一方で、市民的不服従があまりにも「よくあるアクティビズム」であり、「市民運動は民主主義社会の一部」であると社会で理解されているために、「怒らない人」も意外と多い。映画では、警察官や運転を邪魔された運転手たちが、冷静に平和的に、時には笑いながら、活動家たちと会話をしている。

地球儀の中に腕を入れて、現場から離れようとしない活動家たち。連行するために、地球儀を解体する警察官 Photo: Sivil ulydighet #2
地球儀の中に腕を入れて、現場から離れようとしない活動家たち。連行するために、地球儀を解体する警察官 Photo: Sivil ulydighet #2

映画で出てくる活動家たちは「エクスティンクション・レベリオン」と「Stopp oljeletinga(石油探査を止めよう)」団体だ。「過激な団体」というイメージが日本では強いかもしれない。ノルウェーでも交通をストップさせるなどの目立つ運動はこれらの団体によるものであることも多いが、メンバーの多くは「怒りを内在化した普通の市民」だ。市民的不服従は他の環境団体や先住民サーミ人などもするので、もっと広まった運動だ。

市民的不服従の現場で起きる、意外と冷静なやり取り

映画には「抗議する側」と「講義される側」「警察側」との対話が映されている。活動家は「私たちはあなたはあなたの仕事をしているのだと理解し、リスペクトしています」と伝え、「私たちもあなたたちを怪我させたくはないから、質問には答えて」「なぜあなたたちがこういうことをしているかは理解しているから、がんばって」「あなたはあなたの仕事を、私は私の仕事をするから」と労働者と警察官は話す。これは映画のシーンだが、実際の抗議現場でもよくある会話のやり取りだ。違法行為をする活動家たちに対して、感情的に怒る人たちばかりではない現場をみると、日本の人はカルチャーショックを受けるかもしれない。それは労働組合によるストライキなどで、その日の活動に支障が出ても市民が必ずしも怒り、反対するわけではないのと似ている。

もちろん「怒り」「泣き声」が蔓延する市民的不服従の現場もある。現在進行中の先住民サーミ人/環境活動家とノルウェー政府によるフォーセン地域での風力発電所を巡る一件は、もっと感情的な現場になっている。

「アルタの闘い」のリーダーだった父と、「現代の気候の闘い」時代に活動家となった息子

オスロの映画館で対談する「アクティビスト家族」、父のアーリン・キッテルセン(左)と息子のヨナス・キッテルセン(右)筆者撮影
オスロの映画館で対談する「アクティビスト家族」、父のアーリン・キッテルセン(左)と息子のヨナス・キッテルセン(右)筆者撮影

映画の上映後は息子のヨナスと父親のアーリン・キッテルセンが対談をした。この親子がなぜ特別かというと、父親は前述した「アルタの闘い」の抗議活動でリーダーを務めた人物だからだ。息子のヨナスは映画で描かれた石油輸送に反対する行動の戦略立案に携わった。つまり、2世代に続く「アクティビスト家族」なのだ。

ノルウェーの市民運動の歴史が誇る「アルタの闘い」の生き証人でもある父は、息子の「現代の闘い」を嬉しく思っており、時に心配にもなるという。会場には市民運動に参加する高齢者も多く、「時に運動をしていても効果があるのか不安になる」という声に対し、「常に『これは民主的か』を問うのです。抗議活動には心理的洞察を深める気づきの効果があり、気づきは複数のレイヤーで起きる」と父アーリンさんは答えた。

息子のヨナスさんはアクティビストとして「父がロールモデルだから、嵐の中に突っ込んでいける」と話す。彼は大学の授業で気候に関するテーマが不十分だと感じ、非暴力という運動を展開したマハトマ・ガンディーなどの50冊ほどの書籍を読み漁った後、アクティビストになることを決意した。

メディアの注目を集めるために過激化して芸術を狙う問題

一方で最近の市民的不服従には問題もある。世界各地で起きた美術館での絵画に対する攻撃はノルウェーでも起きた。美術館で画家エドヴァルド・ムンクの作品だけではなく、ヴィーゲラン彫刻公園の彫刻も攻撃の対象となった。本作の出演者たちはそれを実行した人々でもある。

ノルウェーでは工事を邪魔したり、政府官邸で座り込みをするなどの市民的不服従はあまりにも「普通になりすぎた」ために、メディアが必ずしも報道するとは限らない。それゆえ、「報道してもらい、市民に気候問題を考えてもらう」ことが大きな狙いの活動家たちのフラストレーションは溜まり、芸術作品が「抗議活動の道具」になってしまった。さすがにこうなると、抗議活動に対して怒る市民は増える。市民的不服従自体はノルウェーではよくあるアクティビズムだが、許容できる境界線は人によって異なるのだ。

活動家たちの「怒り」の根本を見つめる必要性

それでも、政治家たちがアクションを起こさない限り、気候活動家たちの抗議は続き、注目を集めるためにより過激になるだろう。現代のアクティビズムは、大人たちが残す身勝手な資本主義社会と「経済成長」優先の結果に対する「怒り」の現れなのだ。また「活動家が調子に乗るから」とメディアが市民運動を「報道しない」ことも解決にはならない。活動家の多くが口にするのは、最近の「異常気象と地球沸騰を関連付けた報道が少ない」ことだ。気候報道を増やし、活動家たちを責めるよりも、気候政策を実行に移さない意思決定者にもっとフォーカスするなどの「変化」が必要だ。活動の仕方はさまざまな形はあれど、グレタ・トゥーンベリさんたちを筆頭とする増加するアクティビズムは理由があって起きている。

Text: Asaki Abumi

北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員

あぶみあさき。オスロ在ノルウェー・フィンランド・デンマーク・スウェーデン・アイスランド情報発信15年目。写真家。上智大学フランス語学科卒、オスロ大学大学院メディア学修士課程修了(副専攻:ジェンダー平等学)。2022年 同大学院サマースクール「北欧のジェンダー平等」修了。ノルウェー国際報道協会 理事会役員。多言語学習者/ポリグロット(8か国語)。ノルウェー政府の産業推進機関イノベーション・ノルウェーより活動実績表彰。著書『北欧の幸せな社会のつくり方: 10代からの政治と選挙』『ハイヒールを履かない女たち: 北欧・ジェンダー平等先進国の現場から』SNS、note @asakikiki

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