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次世代の図書館 「分かり合えない」を超えるために

鐙麻樹北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員
人間図書館で対話する筆者(左)と本であるルイースさん(右)

デンマークの人間図書館(ヒューマン・ライブラリー)を訪問後、私の頭で何かが起きていた。その変化は図書館の創業者と3人の本との対話中にすでに起きていた。

本ではなく、借りるのは人!?デンマークの「人間図書館」は差別や偏見を減らせるか

「私たちが話した後、会話を終えてドアから出ていくときには私はもう別人になっています。だって、あなたに出会って細胞が変化したから」と本のひとりであるトミーさんは話していた。

確かにその通りだ。4人のとの対話は想像以上の影響を私に及ぼしたようだ。

1冊との対話は20分ほどだそうだが、私は彼らの物語に加えて、なぜ本になりたいと思ったかなども聞いていた。そのため、4人との順番の対話は4時間に及んだ。

その後に友人と合流した時、私は「頭痛がする」と呟いていた。それほど図書館での体験は壮大だった。

インタビューで人と話すことには慣れている。だが、なぜ今回はこんなにどっと疲れていたのか。

それは本との対話で私は常に気にしていたからだ。

「相手を傷つけるようなことを言ってはいけない」

「自分の中に内在されているであろう差別や偏見を無意識に出していけない」

なぜなら普段の生活でも反省することがあるからだ。

友人との気が抜けている状態の会話を後で振り返った時に「私のあの発言は差別的だったな」「あれは言うべきではない偏見だった。相手時は気にしているかな」と。同時に相手の発言に「どうしてそんな差別を平気で口にするんだろう」「この人は、どうして私にその考えを口に出してもいいと思ったんだろう。言うべきではないとは思わないのかな」

このような反省と葛藤を繰り返して、私の毎日は過ぎている。

その「気をつけて」信号が私の中で警報を発していたのだ。この図書館の本棚に並んでいる本たちは、さまざまな壮絶な体験をして、今ここにいる。私もこの社会の一部である以上、彼らをこれ以上傷つけたくない。そういう思いが駆け巡っていた。

自分は差別意識が一切ない人間だとは思ってはいない。私には偏見や差別的意識が内在化されている。それでも自分の感覚や価値観はアップデートし続け、無意識の偏見や差別には気がついて改善していきたいと思う。

「普段だったら聞けないようなことを聞いてもいい。太っている人が嫌いなら、太っているという題名の本に直接『私は太っている人が嫌いですが、あなたはそのことをどう思いますか』と聞いていい」と、創業者のロンニさんは私に事前に言っていた。

「そんなこと言うか」。私は思っていた。

「インタビュー後でも、あの発言は掲載しないでほしいという場合は、遠慮なく言ってくださいね」と私は本の3人に伝えていた。

しかし3人とも「気にしない」「全部掲載していい」という。

トミーさんはこれまでにも日本の新聞記者などに取材されたことがある。

「デンマークの記者はそんなことは一切気にせずに、全部掲載するよ。あなたたち日本のメディアの人は、本当にこれを掲載していいのかと何度も確認して驚いているね」と笑っていた。

そういうふうに私たちは気にしすぎて、社会のタブーがそのままにされ続けている、と言う側面はあるのかもしれない。

人間図書館の狙いは自分の中にある差別や偏見に気がつくこと。自分が偏見を抱いている、普段は交差することのない人と対面で会話することで、自分の中で気づきをもたらす。同性愛に反対する人は、日常生活では同性愛者の当事者とゆっくり対話することはないだろう。人間図書館ではその機会を提供してくれる。

「もし自分の周りで精神的な虐待や、社会的にはまだあまり理解されていない心の病気を抱えていたら、自分はその時どうしたら相手の助けになれるか」

さまざまな思いを抱えて、この図書館のドアをノックしてくる人がいる。

トミーさんはこうも言っていた。

「誰かの自由を奪いたいと思っている人はまずいません。あなたは私から自由を奪いますか」

「いやだ、奪いたくない」。私はすぐにそう答えていた。トミーさんはドラッククイーン、キリスト教信者、HIV(エイズ)陽性者、同性愛者として複数の本のタイトルを持っている。

トミーさんと過ごした時間は30分ほどだったけれど、私は彼に充実した幸せな人生を過ごしてほしいと思うし、彼の背負うものをこれ以上社会システムが抑圧することを防ぎたいと思う。

差別や偏見をもって誰かの生き方を否定することは相手の自由を奪うことだ。無意識に誰かの自由を奪うことに加担しないためにも、人間図書館のような言論空間は必要だ。

人間図書館は「知らないことを批判されずに、安心して対話し、考えることのできる空間」を提供している。私たちの現代社会で欠けている空間だ。これはYahoo!ニュースのコメント欄やスマホやSNSでは成し遂げることができない、民主的な空間であり、建設的な対話が可能な空間だ。

人間図書館のような空間こそ、今の私たちの社会に必要だ。内在化されている自分の差別意識や偏見と向き合うには、膨大なエネルギーを要する。対話後も自分の中で思考は巡り続け、自分の脳の中でふつふつと変化が起きる。今も、私がこの文章を書いている間、頭の中を思考が駆け巡っているように。

デンマークの人間図書館の訪問がまさかこれほど自分に影響を与えるとは思わなかった。日々、ネットやニュースで差別発言や匿名アカウントの心無いコメントが目に入ってくる。どうすればもっと住みやすい社会になるんだろう。そう考える中で、人間図書館は一筋の希望として映った。

誰かを差別したら批判されて当然だ。しかし、知らないことを批判されずに安心して対話して考えることのできる空間という選択肢はあったほうがいい。自分の無知に気が付くためにも。

Photo&Text: Asaki Abumi

北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員

あぶみあさき。オスロ在ノルウェー・フィンランド・デンマーク・スウェーデン・アイスランド情報発信15年目。写真家。上智大学フランス語学科卒、オスロ大学大学院メディア学修士課程修了(副専攻:ジェンダー平等学)。2022年 同大学院サマースクール「北欧のジェンダー平等」修了。ノルウェー国際報道協会 理事会役員。多言語学習者/ポリグロット(8か国語)。ノルウェー政府の産業推進機関イノベーション・ノルウェーより活動実績表彰。著書『北欧の幸せな社会のつくり方: 10代からの政治と選挙』『ハイヒールを履かない女たち: 北欧・ジェンダー平等先進国の現場から』SNS、note @asakikiki

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