本ではなく、借りるのは人!?デンマークの「人間図書館」は差別や偏見を減らせるか
社会の分断・偏見・差別を減らすため、私たちにできることはなんだろうか。
ネットやSNSで社会の分断が進む中、デンマークの「ヒューマン・ライブラリー」(Humain Library)は、建築的な対話と民主主義の試みとして画期的といえるだろう。
首都コペンハーゲンにあるレンガ造りの小さな建物。周囲には花壇とブランコがある可愛らしい小さな庭がある。ここは実は図書館。だが「本の図書館」ではなく、「人の図書館」なのだ。
無知を批判されない、安心して考える空間を
図書館では1冊の本の代わりに、1人の人生のストーリーを20分間聞かせてもらう。図書館の「本たち」は、家族とのつらい思い出や病気、障がい、社会では偏見を受けやすいセクシュアリティなどを抱えている。
「この発言はポリコレではない(政治的に正しくない)」「相手を傷つけてしまうかもしれない」「失礼かもしれない」「そこまで立ち入って聞いてはいけないかもしれない」
そのような、普段は聞きにくいことを聞いていいという条件に本たちは同意している。
「西洋や北欧では難しいとされる多くの会話があります。私たちが提供するのは『知らないことを批判されずに、学び考えることができる安全な空間』です」と創業者のロンニ・アバゲルさんは取材で話し始めた。
「私たちは第一印象で相手を判断しようとし、よくわからないものや怖いと感じるものとは距離を置こうとします。私たちの中には『小さな裁判官』がいて、毎日のリスク評価をしている。顔にタトゥーが入っている人をみると危険だと判断し、用心するというナビゲーション・システムが入っているんです」
「この図書館では、ユダヤ教徒、失業中の人、イスラム教徒、車いすで生活している人などと本音で対話をすることができます。それはタブーに向き合い、自分が内在化する差別や偏見に挑戦することなのです」
社会的抑圧のある文化では、安心して対話ができる空間が必要だとロンニさんは続けた。
「私たちの文化には許されない会話がたくさんあります。怖いからか、恥ずかしいからか、私たちはそのことについては話しません。無礼だと思われたくないからかもしれません。それぞれの文化いは簡単にはアクセスできないテーマというものがあります。例えば、摂食障害、うつ病、自殺未遂とか」
「今日あなたが図書館に来たら、その日にアクセス可能な本が何冊か紹介されます。各本にはそれぞれのトピックがあります。その人は同性愛者であることや抱えている病気の話をしてくれるでしょう」
それは一生忘れられない「本と会話する体験」
筆者も実際に3人の本の物語を聞かせてもらったが、濃厚な20分間だった。単に聞いているだけの20分ではない。私も積極的に質問を投げかけ、対話をしなければいけない。
「その時にご家族はどういう反応をしたのですか」「私の知り合いにも同じ病気の人がいたら、何をすることができますか」「なぜ子どもを手放したんですか」「同性の人とはどのようにセックスをするのですか」など、いつも口に出せない質問をしてもいいという。
「相手を傷つけてはいけない」「失礼な質問をしてはいけない」という思いは常に私の頭の中を駆け巡っていた。だからこそ、自分の言葉にも気を付ける。だかこそ、とても疲れるが学びの多い時間となった。
ロンニさん「だから同じ本だとしても、聞く人の質問によって会話の流れは変わるので、同じような対話というはないんです。とてもオーガニックで科学的なものなんですよ」
本との対話で多くの人は自分が認識していなかった偏見や思い込みに気が付くという
「ここに来れば、何らかの恩恵を受けることができるでしょう。普段だったら聞けないような質問をするのが、あなたの役割です。もし相手にまだ話す準備ができていなかったら『まだそのページは出版されていないんです』と本は言ってくれますよ」
HIV陽性、同性愛、キリスト教信者、ドラッククイーン。波乱万丈の人生
トミーさんは複数の本を出版中だ。ドラッククイーン、キリスト教信者、HIV(エイズ)陽性者、同性愛者という複数のトピックについて話しをしてくれた。
「私はクリスチャンで保守的な家庭で育ち、ある女性と結婚しました。12年間の結婚生活の後、私たちは離婚しました。自分を罪人だとも感じていました。ある日私はある男性と出会いましたが、彼はHIV陽性で黒人でもあったので、保守的だった前妻や家族は混乱し動揺しました。同じ年に離婚もしたし、ゲイであることもカミングアウトしたし、とにかく大変な1年でした。これまで3人の男性と結婚し、今は独身だけど、また結婚したいとは思っていますよ」
「私はHIV陽性者ですが、定期的に主治医に血液検査をしてもらっています。デンマークでもまだ知らない人が多いのですが、たとえ陽性でも、HIVが相手に感染するわけではありません。デンマークのHIV陽性者の98%が、このような感染症に罹患しています」
「デンマークではまだ保守的な人もいて、全てを昔のままにしていたい人もいます。でも私は前進して未来に目を向けたい。人生で唯一普遍のものは変化だと思っています。私たちが話した後、会話を終えてドアから出ていくときには私はもう別人になっています。だって、あなたに出会って細胞が変化したから」
保守派の政治家と対話をしたことがあるトミーさん。会話後、その政治家はデンマークで教会での同性婚に関する決議の際に、その政党で賛成票を投じた唯一の人となった。本との対話が政治家の行動を変えたのだ。
私の本は精神的虐待の被害者と回避性パーソナリティ障害
アキーナさんは精神的虐待の被害者と、いろいろなことを避ける回避性パーソナリティ障害という2冊のタイトルを持っている。
「人間図書館のことを知ったきっかけはFacebookでの投稿だったから。素晴らしいコンセプトだと思い、その後自分が虐待の被害者だと知り、セラピーを受けるようになって、このことを話す絶好のチャンスだと思ったんです」
「回避性パーソナリティ障害は人それぞれですが、不快な状況を避ける傾向にあります。ちょっとストレスになりそうなことや不安になりそうなことに向き合うのではなく、ただ避けてしまうのです。家にいることが多いから、すぐに孤立してしまいます」
アキーナさんにとって人間図書館はコミュニティのような場所だそうだ。
「ここでの朗読の場に座っていると、あらゆる不安が消えるんです。読者も私の体験から何かを得て、自分のために使ってもらえると嬉しい」
誰かに「それは虐待だ」と指摘してもらう必要があった
「読者にはいろいろな目的で来る人がいます。もし子どもが精神的虐待の被害者になったら、親として何ができるかを知りたいという人もいました。私は彼氏から性的虐待を受けているとは最初に気が付かず、周囲が指摘くれたことで自覚しました。別の人から、『これは虐待だ』と言われることが私にとってはとても重要だったんです。だからこのような読者の人がいることは大きな意味をもちます」
元彼はアキーナさんを殴ったりはしなかったが、「アキーナさんは何をやってもダメで、間違っているのはアキーナさんだ」と精神的な虐待を続けていた。
虐待の輪から抜け出すことは難しい。だからこそ、周囲が助け出せるように虐待がどういうものか知っておくことは重要だ。彼女はそう信じて活動を続けている。
義父から受けた性的虐待
ルイースさんは義理の父親から性的虐待を子どもの頃に受けていた。10歳の頃に隣で寝ている義父から受けている行為を嫌だと感じ、12歳で初めて母親に打ち明けた。両親はその後離婚したが、義父と弟たちの親子関係は続いている。
「その後に出会った彼氏は最初はいろいろと助けてくれて、救世主だった。でも、彼は少しずつ精神的に暴力的になっていったんです。私が精神的に下降スパイラルに陥っているのに気が付いた母が、医者の助けが必要だと動いたんです」
母親に対して感じた葛藤など、ルイースさんは赤裸々に語り続けてくれた。
「図書館の一員になったら、いろいろな質問を受けるようになりました。帰りに母に電話して、『今日はこんな質問があったんだけど、どう答えたらいいかわからなくて』と相談することもあります。そうすることで、私と母の距離もより縮まるんです」
「人間図書館は私にとって安全な場所。素晴らしい本と出会い、私たちは物語や感情を交換する。特別なコミュニティの一部になれた気分。ここの人たちとの出会いは、私の人生の見方をより確かなものにしてくれています。世間話は退屈なこともある。でもここでは、世間話だけどレベルが違うんです。私自身が朗読の度に少しずつ変化していること実感しています」
本である3人は共通して、デンマークのメディアは彼らが体験した問題をタブー視せずに、ニュースとして取り上げて、情報周知をしてほしいと願っていた。
「メディアではタブー視されていても、実際に起こったことであり、私たちはそれと共に生きていく必要があるんです」と話すルイースさん。
人々が自分や周囲の人に起こっていることが何か気が付けるようになるためにも、タブーを話し、理解し、境界線やセーフティーネットについての性教育が必要だと感じていると語った。
誰かが人生を取り戻せるように、私はここで本として語り続ける
「私は義父に怒らないと決めたんです。私の復讐は、ここに座ってあなた方に何が起きたかを話すこと。私は悪いことをしていない。もし私が心の中で思い続けていたら、彼は私の人生を支配し続けることになる。彼が私を支配したのは短期間。私は犠牲になり続ける状態を選ばず、過去には『今が大事だ』と教え、より充実した自分の人生を生きるの。他の人が他人に人生を支配されないように、私はここで自分の物語を語り続けるの」
過去に支配されることを拒絶し、生きる力に溢れた本棚
創業者のロンニさん、とても個人的な物語を聞かせてくれた3人には共通するものがあった。生きる力、前を向いて歩くエネルギーだ。
自分の体験を共有し、過去と向き合う勇気。そして自分が口を開くことで、社会が少しでも変わるといいという熱意を始終感じた。
今、SNSでは匿名アカウントによる発言や心無い言葉が溢れている。人間図書館では対面で向き合い、本音で語り合い、自分の中に潜む恐れや思い込みに向き合うことになる。
スマホやSNSに翻弄されている分断されつつある現代社会。だからこそ、デンマークの人間図書館のような民主的な言論空間、「無知を批判されずに、安心して考えて対話する空間」は私たちが必要とするものなのではないだろうか。
Photo&Text: Asaki Abumi