私たちの生活にどう役立っている? ノーベル化学賞 過去の受賞研究
まさに「私たちの生活を変えた」過去の受賞研究
――実際にはどんな研究を行った人が化学賞を受賞したの? 皆さんの記憶に新しいのは2019年に受賞した「リチウムイオン二次電池の開発」でしょうか。吉野彰さん(旭化成名誉フェロー)が受賞したことで、この研究成果は日本でも有名になりましたね。このリチウムイオン電池は、今や携帯電話のバッテリーや電気自動車、非常時の電源までさまざまな機器や場面で使用され、明らかに”人類の生活に貢献している”といえそうです。 吉野さんと一緒に受賞したスタンリー・ウィッティンガムさんは、1973年にこの電池の源流となる「リチウム」を使用した電池を発表し、ジョン・B・グッドイナフさんはこの電池の開発には欠かせない「コバルト酸リチウム」という材料を見い出しました。そして、1986年に吉野さんが安全に実用可能な電池を完成させたのです。ちなみに、グッドイナフさんは受賞時の年齢が97歳で、ノーベル賞の最高齢受賞者となっています(2020年時点)。 このリチウムイオン電池のブレイクスルーとなった発見は約50年前、そして実用化は約30年前と考えると、今使われている技術の背景には多くの時間がかけられていることが分かります。ノーベルの遺言には「前の年」に人類のために最も貢献した人に賞を与える、と記されていましたが、研究には長い年月がかかります。近年のノーベル賞は、今の最先端研究というよりは、今当たり前のように使われている技術のもととなる、少し昔の研究成果に対して贈られることが多いですね。
「直接手にする技術」ではないが役立っている受賞研究
――リチウムイオン電池の受賞はよく耳にしたね。昨年はなんだったっけ? 2020年は「ゲノム編集方法の開発」で、アメリカとフランス出身の2人の研究者が受賞しました。彼女らが開発した、生物のDNA(デオキシリボ核酸)を狙った通りに編集できるCRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン)というツールは論文発表後、瞬く間に世界中の研究室で使われるようになりました。 主な用途は生命科学系の基礎研究なので、私たちの生活に直接役立っているという印象は薄いかもしれませんが、この方法を使って行われた研究は、間接的に病気の治療法の開発などにつながっています。また、ゲノム編集で品種改良された野菜や魚として、将来は直接的な治療法として、私たちの暮らしに関わってくる可能性があります。 つまり、DNAを人間の手で“編集できる”ようになったことで人類に貢献しているといえそうですね。 ――なるほど、回り回って私たちの生活に役立っているという研究もありそうだね。 同じように、多くの研究者が使うことで間接的に私たちに貢献しているという研究が他にもたくさんあります。ここ10年の受賞でいうと、2017年に受賞した「クライオ電子顕微鏡法の開発」があります。「電子顕微鏡」は原子一つひとつのレベルまで見ることができる顕微鏡です。ニュースなどでよく見る新型コロナウイルスの画像も電子顕微鏡を使って撮られた写真ですね。電子顕微鏡にはさまざまな種類があり、「クライオ電子顕微鏡」は、たんぱく質などの高分子を溶液中、つまり生体内の生の状態に近いまま観察することができます。生体内でのたんぱく質の形が分かれば、例えばウイルスが体内に入ってきた際にどう作用するのかを知ることができ、薬の開発などに役立てられるかもしれません。 さらにさかのぼって2014年に受賞した「超高解像度の蛍光顕微鏡開発」は、蛍光の仕組みを使って生きたままの細胞を高解像度で見ることができる技術です。実は、クライオ電子顕微鏡では見たいものを冷却する必要があったり、他の電子顕微鏡では結晶化させる必要があったり、生きたままの写真は撮れません。蛍光顕微鏡は、研究者がより細かく生体内の現象を理解するのに役立ちます。 こんなふうに、これまで見えなかったものが“見えるようになる”ことで、人類に貢献するような研究も受賞しています。 ――さっきから聞いていると、DNAとか顕微鏡とかあまり「化学」というイメージじゃない研究もあるね。 化学というと薬品を使ったり実験をしたり、というイメージでしょうか。例えば2010年に受賞した「クロスカップリング」に関する研究はそのイメージに近いかもしれませんね。リチャード・ヘックさん(米デラウェア大学名誉教授、2015年10月死去)、根岸英一さん(米パデュー大学名誉教授、2021年6月死去)、鈴木章さん(北海道大学名誉教授)の3人は、いかに2つの異なる分子を反応させてつなぎ合わせ、新しい物質をつくるかという方法を考えました。この異なる2つの分子をつなげるクロスカップリングという方法は、今や世界中の化学者が使うだけでなく、実際に服や薬などの工業製品をつくるのにも役立っています。 これまでつくれなかったものが、またはこれまでより簡単に効率よく“つくれるようになる”研究も化学の特徴といえそうです。 このクロスカップリングの研究は、有機化学とよばれる分野に当たるのですが、過去の受賞研究を見てもこの分野からの受賞が一番多いようです。