被災地に行っても僕には何もできませんでした──ボクシング元世界王者・長谷川穂積「今だから話せる」13年前の約束 #知り続ける
どうしても被災地を訪問したかった理由
2度の被災地訪問は、ある意味で予想通りでもあった。 「やっぱり被災地に行っても、僕には何もできませんでした。中にはちょっと元気が出た人もおったかもしれないけど、それでもやっぱり自己満足でしかなかったです」 長谷川はどうしても被災地訪問をしたかった理由のひとつとして、「今思えば、何かを見つけに行ったのかもしれない」と振り返る。それは、まるで子どもたちとしたかくれんぼの鬼のように。 「もちろん初防衛戦に勝っていたら、全く別のことを感じていたと思います。ただ僕は負けた。被災地に行くことで何かを探していたのかもしれないです。それが何だったのかは今も分からない。ボクシングをする意味を探したのか、負けた理由を探したのか」 テント村付近のホテルは、どこも営業が再開されていなかった。長谷川は唯一開いていた近くのラブホテルに2泊している。そして神戸に帰る直前、テント村で生活する人たち、一緒に遊んだ子どもたちに誓った。 「皆さんと僕とでは、その大変さは比べものになりません。比べること自体が失礼だと思います。ただ、ベルトを失った僕と被災された皆さん、今から頑張っていくしかないということだけは似ているかもしれません。僕はもう一度チャンピオンになります。お互い、頑張りましょう」
3.11から5年半、女川での約束が果たされた瞬間
約束を果たせぬまま月日が流れる。 2014年のキコ・マルチネス戦で敗れて以降の試合では、長谷川がピンチに陥りクリンチするたびに会場に悲鳴と歓声が上がるようにもなった。リング上でそれを聞いた長谷川は「潮時かもしれない」と感じる。ただ、諦めるわけにはいかなかった。自身が納得してリングを降りるために、そして女川で誓ったあの日の約束のために。 長谷川の元には訪問した際に親しくなった人たちから、手紙や女川港で水揚げされた魚が届くようになっていた。手紙には「テント村から仮設住宅に移りました」「仮設から出て暮らし始めました」と一歩ずつ、それでも確かに復興へ向け歩み出す彼らの姿がいつも綴られていた。 被災地を訪れてから5年半、気づけば長谷川は35歳になっていた。 2016年9月16日、ウーゴ・ルイス(メキシコ)とのWBC世界スーパーバンタム級タイトルマッチ。9ラウンド、長谷川はルイスの左アッパーを被弾、ぐらついてロープ際に追い込まれる。ガードを固めるかと思われた瞬間、長谷川は打って出て打ち合いに応じる。殴り勝ったのは長谷川だった。 10ラウンド開始のゴングが鳴ってもルイスはコーナーから立ち上がれない。それが、3階級制覇達成と女川での約束が果たされた瞬間だった。 その試合を最後に、長谷川は17年間の現役生活にピリオドを打つ。