被災地に行っても僕には何もできませんでした──ボクシング元世界王者・長谷川穂積「今だから話せる」13年前の約束 #知り続ける
かつて“絶対王者”と呼ばれたボクサーがいた。 2005年、難攻不落と称されたウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)を破り世界王者となると、5年間で10度の防衛に成功。一度は王座陥落も2010年11月にチャンピオンに返り咲き2階級制覇。しかし2011年4月、初防衛戦であっけなく敗戦を喫す。 その白と黒の間に発生したのが東日本大震災だった。 長谷川穂積(43)は「今だから話せることがある」と切り出す。キャリア終盤に刻まれた黒星に元絶対王者の人柄がにじんだ――。(取材・文:水野光博/撮影:宗石佳子/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「戦う理由がわからなくなった」
長谷川穂積の自宅のガレージには、未開封のミネラルウォーターが入った段ボールが積まれている。 「東日本大震災の直後、被災地に送ろうと購入したんです。大半は送れたんですが、送りきれなかった分が今も残っていて」 大震災発生の4カ月前、2010年11月26日に時計の針を巻き戻したい。 長谷川はファン・カルロス・ブルゴス(メキシコ)を破り、WBC世界フェザー級王者となった。それは長谷川にとって2階級制覇の偉業以上に大きな意味を持つ白星だった。なぜなら決戦わずか33日前、長い闘病生活の末に世を去った、最愛の母が最後に残した言葉が「勝ってよ」だったから。 「負けたら死ぬくらいの覚悟で挑んだ試合です」
ただ、大きなミッションの完遂は大きな反動を生み、長谷川の心を虚無感が覆った。 現役時代、長谷川はどんな敗戦も、「結果が全ての世界。弱いから負けた。それだけです」と多くを語ろうとしなかった。それがボクサー長谷川穂積の矜持でもあった。だからこそ、初防衛戦のあっけない敗北の理由を「現役を退いた今だから話せる」と長谷川は言う。 「全てを懸けた試合で燃え尽きたんです。戦う理由がわからなくなった。ただ世界チャンピオンである以上、自分の気持ちだけで試合の日程を決められるわけじゃない」