「親に会いたい」見過ごされてきた小さき声─“子どもの声”に耳を傾ける活動の広がり
生き延びたのは「あのバス運転手のおかげ」
自分の声を受け止めてくれる大人の存在。虐待を受けながら育ったという熊本県荒尾市の坂口明夫さん(49)は、その重要性を誰よりも知っている。 坂口さんは、結婚していなかった父母の間に生まれた。ところが、幼い坂口さんを引き取ることになっていた父親は事故で亡くなってしまう。自分の正確な生年月日も分からない。親戚の家をたらい回しにされるように転々として、中学卒業までに7つの家庭を経験した。高校では一人暮らしをした。「おまえなんか生まれてこなければよかった」と言われ続け、自分でもそう思っていた。 坂口さんから聞く話はつらいものばかりだった。 里親宅で熱いアイロンを体に当てられた。靴ベラでたたかれもした。友達の家に遊びに行ったとき、友達の父親が靴ベラを使って靴を履くところを見て驚いたという。 「人をたたくための道具だと思っていたんです」 いくつ目かの里親には実子がいた。実子がハンバーグを食べているとき、坂口さんに出されたのはご飯とふりかけだけ。そんなことはしょっちゅうだった。 「家族旅行で私だけ連れていってもらえなかったり、サンタクロースが私にだけ来なかったり……子ども時代は暗黒でしたね」
坂口さんには、忘れられない出来事がある。 小学1年のとき、当てもなく路線バスに乗った。2時間ほど揺られて終点に着くと、運転手に声を掛けられた。 「おい、坊主。うどんでも食うか。ここのうどんは安くてうまいんだ」 運転手と2人で店に行き、うどんを食べた。名前も遠出の理由も聞かれない。折り返しのバスに乗って、最初のバス停に戻った。運賃を払おうとすると、運転手は言った。 「いらねえ。坊主、また何かあったらうどん食べようや」 坂口さんのエピソードを記したのには、理由がある。図らずも困難な状況に陥った子どもたちに何が必要かを端的に示しているからだ。 坂口さんは今、福岡県大牟田市の「こども家庭支援センター あまぎやま」のセンター長を務めている。毎日、子育ての相談に応じる。 「生き延びることができたのは、あのバスの運転手のおかげです。あんな大人になりたいと思って生きてきた。虐待を受けた子どもは人を信頼できません。でも、あの人なら信頼できるかな、話してみようかなと思える大人が一人でもいれば支えになる。アドボカシーは単に子どもの願いをかなえることではなく、対話が基本です。まずは困っている子どもに気づき、声にならない声を聴き取ろうとしてほしい。子どもが話したいと思ってくれたら、ゆっくり聴いて、どうしたらいいか一緒に考え、悩み、答えを探して行動する。それがアドボカシーだと思います」 --- 森本修代(もりもと・のぶよ) 1969年熊本県生まれ。静岡県立大学在学中にフィリピン・クラブを取材して執筆した『ハーフ・フィリピーナ』(森本葉名義、潮出版社、1996年)で第15回潮賞ノンフィクション部門優秀作。1993年熊本日日新聞社入社、社会部、宇土支局、編集本部、文化生活部などを経て2022年5月退社。著書に『赤ちゃんポストの真実』(小学館)。