「親に会いたい」見過ごされてきた小さき声─“子どもの声”に耳を傾ける活動の広がり
そうした経験を通じ、山下さんには感じることがある。 「施設にいる子どもたちの中には『何かを求めて声を上げれば自分の居場所がなくなるんじゃないか』と不安に思うケースもあるんですね。施設の職員でもなく、児相の職員でもない、安心して話せる第三者が必要だと思います」
大人も子どもも対等
子どもアドボカシーのために活動する人々を「アドボケイト」と呼ぶ。彼らの訪問を施設側はどう受け止めているのだろうか。 熊本県水俣市の児童養護施設「光明(ひかり)童園」は、トナリビトの訪問先の一つだ。施設を運営する社会福祉法人理事長の堀浄信さん(51)は、児相によって保護された子どもが何の説明も受けないまま施設に連れてこられ、「今日からここで暮らします」と宣告される場面も見てきた。
「施設に入りたくて入る子どもはいませんが、入らざるを得ない場合、複数の施設を見学するとか、子どもが選べるようになるといい。そして、(自分を)見守ってくれる(アドボケイトのような)応援団がいると子どもが感じることは大切。第三者が入ることで、風通しもよくなります」 子どもアドボカシーは、子どもが主人公として、主体的に自分の人生を選んで生きていけるようにするためのものだ。子どもアドボカシー学会会長の堀正嗣・熊本学園大学教授は、アドボケイトの役割を「マイク」にたとえた。 「子どもの小さな声を大きくして伝える役割です。スイッチのオン・オフは子どもが決めるのです。大人は普通、子どもに言うことを聞かせようとしますね。『子どもだまし』『子どもの使い』といった、蔑視の意味を含んだ言葉もあります。これは『子どもは大人より劣っている』とする、古い子ども観です」
堀教授によると、国連子どもの権利条約によって、子どもは保護の対象から権利の主体へと転換した。同条約は1989年に採択され、日本は94年に批准している。ただ、批准から30年近くも経つのに、「子ども観の転換」が浸透しているとはいえないという。実際、日本政府は国連子どもの権利委員会から「児童相談所を含む児童福祉サービスが子どもの意見をほとんど重視していない」などと繰り返し勧告を受けてきた。 なぜ、日本の子ども観は変わらないのか。 「家父長制が強いためでしょう。『女、子どもは黙っていろ』という文化が強い。女性に対する差別も根深いですが、子どもに対しては、差別があるということすら認識されていません。子どもも大人も対等です」