「止まった町」双葉の応援を志願した女川職員 阪神・西宮から引き継がれた復興の経験 #知り続ける
東日本大震災から11年半経った昨年8月、避難指示が一部解除された福島県双葉町。ようやく町民の帰還が始まったが、復興計画は動き出したばかりだ。そんな双葉町にあえて応援職員として志願して来た宮城県女川町の職員がいる。女川町は被災自治体の復興のモデルケースとも言われるが、その成功の背景には、阪神・淡路大震災で被災した兵庫県西宮市の教えもあったという。被災自治体職員の経験を伝えようとする人たちの思いに迫った。(文・写真:ノンフィクション作家・稲泉連/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
避難指示解除も…戻ってきたのは60人
12年前、福島第一原発の事故によって全町民が町外への避難を余儀なくされた双葉町。福島第一原発の5、6号機が立地するこの町で、一部区域の避難指示が解除され、住民の居住ができるようになったのは昨年8月30日のことだった。 これまでに解除されたのは双葉駅周辺を含む町の全体の15パーセント。わずかな面積に過ぎないが、それでも1週間後には駅の東側に建てられた町役場の新庁舎で業務が始まり、1カ月後には「駅西住宅」と呼ばれる復興住宅への住民の入居が始まった。
だが、現時点で町に戻ってきたのは60人ほどだという。多くが双葉町に長く暮らしていた高齢の住民だ。震災前は約7000人が住んでいたが、その100分の1以下に過ぎない。やむを得ない事情もある。町中心部である駅周辺に飲食店やスーパーはなく、働く場所や学校もない。復興住宅の隣に診療所は開設されたものの、買い物は昼時にやって来るイオンのワンボックスの移動販売だけが頼りだ。生活が十分にできるとは言いがたい環境なのだ。 双葉町が昨年6月に発表した「双葉町復興まちづくり計画(第三次)」によれば、復興拠点には大きく分けて3つのエリアがある。原子力災害伝承館のある海沿いの地区、役場や復興住宅が整備されたJR双葉駅周辺、そして、JR常磐線と並行する国道6号沿いの地域だ。 海沿いの地区には企業の工場誘致に加え、キャンプ場などのアクティビティーエリアの整備、駅周辺には商業施設の建設が予定されている。ただ、具体的な設計はまだこれからで、町の広報担当者は「2年はかかるだろう」と語る。それが双葉町の復興の現在地である。