「止まった町」双葉の応援を志願した女川職員 阪神・西宮から引き継がれた復興の経験 #知り続ける
女川町長に直談判…双葉町の支援を志願
ようやく復興への取り組みが始まった双葉町には、業務をサポートするために他の自治体からやって来た応援職員がいる。その一人が、女川町職員である土井英貴さん(46)だ。 「未来の双葉町の姿を想い描きながら、少しずつ前に進んでいくんですよ」 町役場の入り口から双葉駅の駅舎を見ていると、まだ復興が手つかずの町に冬の冷たい風が山のほうから吹きつける。決意を秘めた表情で彼はそう言った。
宮城県の北東にあり、三陸海岸の南部にある女川町は、震災で約14.8メートルの津波に襲われ、町の主要部分が壊滅的な被害を受けた。以後、土井さんは町職員として女川の復興に懸命に取り組んできたが、震災から10年半が経った2021年夏、自ら双葉町の応援職員に志願。女川町長に何度か直談判して1年間という約束で実現した。現在は復興推進課の主任主査として復興事業に従事している。 双葉町での業務は、前述の復興計画にまつわる様々な手続きや、経験のない職員をチームとしてまとめたり、アドバイスを送ったりすること。彼は女川町で培った復興まちづくりの進め方を伝え、双葉町の復興の「土台」を作ろうとしている。 土井さんは復興事業を進めるには「町の未来像を少しでも早く見せ、町民や関係者の間で共有すること」が重要だと考えている。 「学校はいつできるか。公共施設や商業施設はいつできて、いつから利用できるか。女川では、『未来の町はこうなりますよ』という絵を町民に示しました。海と共存する町の未来像を絶えず発信し続けたことで、一つの方向性をみなが共有することができたんです」 そんな女川での経験に照らすと、双葉町では町民が方向性を共有することが難しかったという課題を感じている。 「震災の後、双葉町は役場の機能が(埼玉県)加須市を経て(福島県)いわき市に移りました。そのため、双葉町内の現場に向かうにしても彼らは1時間以上かけて通う必要がありました。また、部署間で横断的に事業を進めていく体制づくりも難しかったように感じられます」