存在を消したい過去を乗り越えて──サッカー元日本代表DF酒井高徳が打ち明ける心の傷 #今つらいあなたへ
運命的な出会いで心が開かれた
心を閉じ込めつつも彼は“逃げ場所”を、それこそ無意識的につくっていた。 酒井が育った三条市は自然にあふれていた。昆虫を捕まえたり、木登りしたり、川遊びしたり。一人でよく遊んだ。ポケットに昆虫やカエルを入れていたことを忘れて洗濯機に入れてしまい、母親の悲鳴を聞いたことも何度かあったとか。 ただ、一人遊びだけではなかった。顔なじみの子どもたちや2歳年下の弟、宣福(現在はJ2レノファ山口でプレー)とも公園などで一緒に遊び、学校では野球もやったし、ドッジボールもやった。体を動かすのがとにかく大好きだった。周りの子どもたちの反応に敏感ではありつつも、遊びの前では壁を薄くすることもできた。 そんな折、サッカーと運命的な出会いを果たす。「近所に住むお兄ちゃん」と一緒にボールを蹴るようになり、5年生になると小学校のサッカー部に入った。すぐに楽しくなって、遊びもサッカーが中心になった。
あるとき、地元の少年団で教えている人から声をかけられた。聞けば、自分と同じ小学校から通っている子が一人いるという。 酒井少年は自ら行動を起こすことになる。 「別のクラスの松本くんという子でした。初めましての人に自分から話しかけたことなんて一度もなかった。できれば存在を消したいくらいに思ってきたくらいですから。でも(少年団に対する)興味が勝ったんでしょうね。むしろ松本くんに話しかけなきゃいけないくらいになっていました。向こうもかなりびっくりしたはずですよ」 起こした行動に、何より自分が一番驚いていた。松本くんが笑顔で「一緒にサッカーやろうよ」と言ってくれたことは、鮮明な記憶として残っている。たまらなくうれしかった。好きになりつつあったサッカーへの思いが、一歩どころじゃなく二歩、三歩と踏み出させるきっかけをつくった。 「(練習場が)家から遠かったんです。お父さんは仕事だし、お母さんは車の免許を持っていなかった。それを松本くんに言ったら、親に相談してくれて一緒に送迎してくれることになって。本当に頭が上がらない思いでした。僕も最初は控えめに絡んでいくんですけど、だんだんと明るい自分を見せていく感じになりましたね」 友達と呼べる存在が自分にもいる。固く閉じていた心がスッと開かれた。