宮崎美子61歳ビキニのルーツ 篠山紀信、ミノルタとの関係性とは
篠山紀信と宮崎美子、ミノルタの関係性
今回のカレンダーで宮崎のビキニ披露とともに見落とせないもう一つのポイントとして、撮影が写真家の篠山紀信氏であることがあげられる。篠山氏は「週刊朝日」の表紙で「キャンパスの春」シリーズを撮り続けていた40年前、熊本大学法学部政治学科の4年生だった21歳の宮崎を撮影。それがデビューにつながりX-7のCMで一躍ブレークする。篠山氏は以前からミノルタを使い、X-1やXEといった高級一眼レフシリーズといえばCMにも出演するなど同氏愛用のイメージが強い。篠山氏が撮影した子ということで、ミノルタの目にとまったのも自然な流れだろう。 カレンダーの撮影は9月中旬に九十九里のおしゃれな邸宅と近隣の海辺で行われたという。ビキニのほかにもワンピース姿やドレス姿など、現在の宮崎が楽しめる。宮崎は「40年前に戻ったような新鮮な気持ちで撮影しました。お天気も良く、気持ちよく、気づいたら泳いでいました(笑)。カレンダーということで、来年は良い年になれば良いなという気持ちを込めて…。そして皆さま、健康が一番ですね」とコメントを寄せている。 なお宮崎は19日に公式インスタグラム(@miyazakiyoshiko.official)も開設、篠山氏との最新の撮影などについても動画でふれている。
【ミノルタカメラとは】
ミノルタはかつて存在したカメラや複写機を主力とする光学機器メーカーで、本社は大阪市にあった。歴史のあるメーカーで、ドイツのライカと提携したり、写真家・篠山紀信氏が愛用したりと、ロッコールレンズの描写性能の高さとともに70年代から80年代にかけてはニコン、キヤノンに勝るとも劣らない評判の高いカメラメーカーだった。とくにこのX-7から5年後、85年に発売されたオートフォーカス(AF)一眼レフ「α-7000」は世界的にヒット。しかし87年、アメリカのハネウェル社がオートフォーカス技術の特許侵害で訴訟を起こし、ミノルタは約1億ドルもの和解金を支払うことになる。 現在はコニカとの株式交換による経営統合や事業子会社の合併を経てコニカミノルタとなっている。なおカメラ部門に関してはコニカミノルタホールディングス(現在のコニカミノルタの前身)が2006年3月末に写真関連分野からの撤退を発表、「α」ブランドを含むデジタル一眼レフカメラについてはソニーに譲渡された。現在、フルサイズミラーレス一眼の分野で圧倒的な人気を誇るソニーの「α」は、ミノルタのαにルーツの一端を見ることができる。 (文:志和浩司)