なぜ浦和“ラストマッチ”の槙野智章が天皇杯決勝のヒーローになれたのか…「泣いていても前に進めない」
「柴戸選手も居残り練習の仲間で、言い方は悪くなりますけど、シュートが入らないと思ってポジションを取っていました。シュート能力はありますけど、彼の癖やボールが浮いているタイミングを見たら、これはゴールの枠には飛ばないだろう、と」 利き足と逆の左足のアウトサイドで放たれた柴戸のボレーは低く抑えられ、左へ逃げていく軌道を描いて飛んでいった。大分のキャプテンにして守護神、高木駿がシュート方向へ素早く反応する姿を確認しながら槙野は一瞬の閃きを具現化させた。 「強くボールを当てるのではなく、とにかくコースを変えることを意識しました」 槙野の額をかすめた一撃は次の瞬間、ゴールのど真ん中に吸い込まれていく。逆を突かれた高木はもはやなす術がない。大分のMF町田也真人がポジションを上げるのが遅れた関係で、自身がオフサイドにならないことも槙野はもちろん把握していた。 劇的すぎる勝ち越しゴールを決めた直後からは、本能の赴くままに走った。前後左右へ目まぐるしくコースを変え、雄叫びを上げながら向かった先は赤く染まったゴール裏。途中でユニフォームのシャツを脱ぎ捨て、反スポーツ行為でイエローカードをもらっても、浦和のファン・サポーターと至福の喜びを分かち合いたかった。 「今日も素晴らしい雰囲気を作っていただいたし、僕のゴールというよりも、来てくださった方々が念じたものが僕に乗り移った、と言っても過言ではないので。イエローカードはよろしくなかったけど、僕とユニフォームと背番号を忘れてほしくなかったので、脱いだ上でサポーターのみなさんの前で『5番』を掲げさせてもらいました」 天皇杯制覇を告げる笛は、浦和と決別する瞬間でもあった。 11月5日に設けられた交渉の席で、今シーズンで満了を迎える契約を新たに更新しないと告げられた。他チームへの移籍か、あるいは現役引退か。二者択一となったサッカー人生の岐路を前にして、槙野は「ほぼ毎日泣いていた」と振り返る。 2012シーズンから10年間も所属してきた、愛してやまない浦和との別離が刻一刻と近づいてくる。青天の霹靂だった「ゼロ円提示」に激しく揺れ動いた胸中は、ほどなくして落ち着きを取り戻した。原動力になったのも浦和へ注ぐ愛情だった。 「泣いていても前へ進めないし、何よりも今シーズンが終盤に差しかかり、天皇杯がまだ残っていたなかでチームメイトにそういう顔は見せられない。雰囲気作りを大切にしてきた僕がふさぎ込んでしまえば、チームにも悪い空気が流れ込んでしまうので」 全体練習が終わっても最後までグラウンドに居残り、シュート練習などを自らに課し続けた。誰よりも大きな声を響かせ、意図して周囲の笑いも誘う。いつもと変わらぬ自分の立ち居振る舞いを介して、プロのあるべき姿を見せ続けた。 自問自答の末に、浦和の一員として成就させる目標を見つけた。 「残さなければいけないものは、タイトル獲得を含めたアジアへの切符でした」