道東唯一の百貨店「藤丸」閉店から2年。「大好きな藤丸を守りたい」再建誓う新チーム2030年再オープン目指す 北海道・帯広
最悪のシナリオが目に見えている中で、なぜ首を縦に振ったのか。 「僕らは金融を軸に、十勝の地域内総生産の拡大に貢献できるような仕事がしたいと考えて会社を立ち上げました。帯広の顔である藤丸が突然閉店してしまえば、あまりにも十勝経済に与える影響は大きいですし、逆にそれを食い止めて新たに人が集うような場をつくれば、まちの再生に大きな弾みがつきます。そもそも百貨店を再建したいという話だったら、僕らに声がかかるわけはありません。地権者の複雑な権利関係、テナントの保証金など、あまりに複合的に絡みすぎて誰も手を付けられない状態になっていた。だから金融に強い僕らに声がかかったんだと思います」 当時、その動きを報道で知った村松さんは言う。 「そらが藤丸のスポンサーになると知ったときには『救世主現る』と思いました。そらは、帯広駅前にある創業95年の老舗ビジネスホテル『ふく井ホテル』の事業継承にも名乗りを上げたばかりでしたから。ふく井ホテルの山田さん(前社長)が後継者としてその手腕を買った若くてエネルギッシュな会社がいよいよ藤丸のサポートに入るのか。これは何かやってくれるだろうなと、そのときは〈外野〉だったので一市民として期待していました」 ただ、米田さん自身も引き受けると言ったものの、不安がなかったわけではない。 「資金ショートが間近に迫る中で、再建計画云々よりも止血することが最優先でした。『やります』とは言ったものの、一時しのぎで終わる可能性もありました。ハードランディングだけは避けたい。破産や民事再生といった法的整理へ向かえば時間もかかってしまいます。半年間の閉店セールで時間稼ぎをしながら、関係者の合意を取り付けて私的整理の枠組みの中で債権・債務を整理する道を模索しました」 借り入れを行う金融機関や土地・建物を所有する地権者との交渉、数十軒に及ぶテナントとの保証金に関する和解交渉、従業員の雇用問題など、一つ間違えればすべてが水の泡になってしまいそうなやりとりを水面下で粘り強く続ける一方、米田さんは次の一手を打つ。 「再建計画を遂行する新会社の設立と、その旗を振る人が必要でした。それは僕じゃない。経済界、地域の人から『この人がやってくれるなら藤丸は安心だ』という体制を整える必要がありました。僕としては資金面の戦略に専念したかったというのもあります。それで、ずっと地域のために汗をかいてきた帯広日産自動車の村松さんに声をかけました」
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