悠仁さまのお立場を危うくしかねない“筑波のプーチン”の存在…14年間も国立大トップに君臨【秋篠宮家の学校選び】
【秋篠宮家の学校選び】#41 12月11日、秋篠宮家の長男・悠仁さまが、筑波大学の生命環境学群生物学類の学校推薦型選抜を受験し、合格したことが明らかになった。しかし、「筑波大への進学は悠仁さまにとって東大よりかえってマイナスイメージが強いのではないか」と話すのは、筑波大教授の一人。その理由に挙げるのは同大の永田恭介学長の存在だ。学長に就任したのは2013年。任期は21年3月までだったが、学内規則を変更し上限を撤廃。今年3月まで延長された任期は「他の候補者より現職の再任の意思が優先」という規定によって、さらに27年まで延びた。 【写真】筑波大付属高校から下校する悠仁さまの様子 「国立大のトップが14年も続くのは異例」(文部科学省高等教育局職員)であり、「筑波のプーチン」とも称される。なぜ、その永田学長が悠仁さまの足を引っ張ることになりかねないのか。 「悠仁さまを筑波大付属高校へ導いた提携校進学制度のいきさつが蒸し返されるのは必至」(筑波大教授)だからだ。 筑波大とお茶の水女子大の間で同制度が結ばれたのは17年。悠仁さまがお茶の水女子大付属小学校5年の時である。両校の付属校に在学する生徒は成績や学力検査で基準に達すれば、互いの付属校に進学できるというもの。「お茶大付属に男子が通えるのは中学まで。悠仁さまの筑波大付属中学への進学を前提に設けられた」と宮内庁OBは振り返る。 ただし、中学進学の際にはこの制度は使われなかった。姉の眞子さんと婚約した小室圭氏の母の金銭トラブルが浮上したためだ。「そうしたさなかに特権的な制度を用いるのは得策ではないと秋篠宮家が判断した」(同)という。18~22年度の5年間を対象とする時限立法的な同制度によって悠仁さまが筑付高に入学するのはその最終年度だった。なぜ、ここで筑波大の永田学長がクローズアップされるのか。「秋篠宮家と宮内庁の意向をよく理解し、制度をつくった立役者の一人だったからです」と話すのは前出の同大教授だ。 一方、制度締結時のお茶大側の責任者は室伏きみ子前学長。「この構想が始まった時、学長に就いたばかり。あまり政治的なタイプではなく、自ら積極的に動くことはなかった」と宮内庁OB。そこで同庁がお茶大に送り込んだのが金属メーカーの元社長だった。お茶大の学長特別顧問の肩書を与えられ、筑波大との交渉に当たった。 「これまでの皇族と違い、学習院を避けたために、宮内庁としても経験したことのない動きが必要になった。秋篠宮さまや紀子さまがそのあたりをどうお考えになっていたのかはわかりませんが」と同庁OBは言葉を濁す。いずれにしても、問題は「悠仁さまの筑付高への道筋をつくった永田学長が今も君臨する筑波大への進学が世間にどう映るか」(同大教授)である。 「いろいろ揶揄する声はあっても、最初に目指していた東大が正解だったのではないか」と話すのは、推薦入試事情にくわしい学習塾経営者だ。 「悠仁さまが手がけたトンボ論文の評価の高さから考えて回避する理由はなかった。何より、東大の推薦入試の場合は書類選考を通っても、大学入学共通テストを受けなければならない。世間の印象もずいぶん違う」 次世代天皇となられる悠仁さまにとって、イメージ戦略も大切なのはいうまでもない。 (田中幾太郎/ジャーナリスト)