なぜFC東京に帰ってきた長友佑都は背番号「50」を選んだのか
契約満了に伴ってマルセイユを退団した7月以降は無所属のまま、カタールへの最終関門となるアジア最終予選に臨んだ。ホームでオマーン代表に敗れた2日の初戦、アウェイ扱いのカタール・ドーハで中国に辛勝した7日の第2戦でともに左サイドバックで先発したなかで、経験したことのない危機感を募らせたと長友は明かす。 「最終予選は10月、11月、来年の1月、3月と続く。ヨーロッパから帰ってきた選手たちの疲労度なども見たときに最終予選の厳しさも感じたし、最高のコンディションで向かわないと日本がワールドカップに出られないという危機感も出てきた。移動の負担や時差調整などを考えれば、コンディション面では圧倒的に国内組の方が優位だと思うし、最高の状態で最終予選やワールドカップを迎えられるのは大きなメリットがある」 代表戦から逆算すると、ヨーロッパを最上位に置いてきた新天地探しにも大きな変化が生じた。そして、日本へ復帰するときの選択肢は「帰ってくるときはウチに」と何度も話をもらってきた、相思相愛の関係にあったFC東京以外になかった。 「国内外を含めて僕に興味を持ってもらい、話ももらったチームもあった。そのなかでも愛するクラブであるFC東京から正式にオファーをいただき、示されたビジョンや思いに感動した。力になりたいと思い、帰ってこようと決めました」 ビジョンの中心には首都・東京をホームタウンとするクラブとして、初めてJ1リーグ戦で頂点に立つ姿が描かれていた。大金社長も「首都にふさわしいクラブになるための役者がようやくそろった」と目を細めた。長友も熱い思いを共有する。 「首都のクラブですよ。花の都のクラブはやはりビッグでないとダメだし、常勝クラブでないとリーグも盛り上がらない。東京都の『都』という字も花の都の『都』という字も、長友佑都の『都』ですから。長友佑都の『佑』も助けるという意味があるし、すべてにおいて縁を感じる。強い覚悟を持って、ものすごく燃えてここに来ています」 だからといって、無条件でポジションが用意されているとも思っていない。今年に入って森保ジャパンでデビューした24歳の小川諒也、U-20代表に名を連ねるバングーナガンデ佳史扶らとの競争を勝ち抜き、プレーとともに濃密な経験も還元していく。 ならば、刻み込まれた経験のなかで最も濃いものは何か。それぞれの国内やヨーロッパの舞台で強豪と位置づけられるインテル、ガラタサライ、マルセイユで何度も味わわされてきた毀誉褒貶の激しい日々で、自然と育まれた打たれ強さだと長友は笑う。 「僕はそういう批判をプラスに、エネルギーに変えて成長してきた。僕にとって批判はむしろ『仙豆』みたいなもので、もっとください、という感じでしたね。すべてはピッチの上で見せつける、というマインドでこれまでも戦ってきたので」 長友がおもむろに言及した「仙豆」とは、人気漫画『ドラゴンボール』内に登場するアイテム。一粒でも口にすれば大けがが癒え、体力も回復する摩訶不思議な豆と自分自身に向けられる厳しい批判の声が、いつしか長友にはダブって見えるようになった。