息子が「発達外来」に行くことをためらう夫に妻がかけた言葉とは? わが子が「DCD」と診断されたママ漫画家に聞く
ただの運動オンチだと思っていた息子が、発達性協調運動障害(DCD)だと診断された漫画家オチョのうつつさん。診断前は友だちと対等に遊べず、明るかった息子の性格が次第に暗くなり、日々悩みを抱えていました。しかし専門家の診断を受け、考え方を変え、工夫することで「息子の人生はきっと明るくなる」と希望が持てるようになったといいます。どのように周囲の理解を得て、必要な配慮につなげていったのかお話をうかがいました。※前編<「極度の運動オンチ」だと思っていたら“発達性協調運動障害”だった 診断に辿り着くまでの小学生息子と母の苦悩>から続く 【マンガ】運動オンチだと思っていた息子が「DCD」と診断されるまで(全16枚) ■「できない」という感覚を植え付けないように ――前編では、息子のウノくんが「運動オンチ」だと思ってたら、専門家に「DCD」と診断されたお話をうかがいました。その後、学校での「合理的配慮」によって、ウノくんが明るさを取り戻したそうですが、学校の先生にはどのように障害のことを伝えましたか。 学校の先生は、「何でも、いいよ、やりなさい」と言ってくださる方で、本当に助けられました。診断後の個人面談には、主治医の古荘純一先生から教えていただいた『DCDの子どもサポートガイド』(合同出版)と診断結果の紙を持って、息子の障害について説明しました。先生はDCDについて初めて知ったようでしたが、「本を買って読みます」と言ってくださり、「こういう子、確かに昔からいますよね」とおっしゃっていました。 ――具体的に、学校ではどんな合理的配慮がありましたか。 握りやすくて濃い芯のシャープペンシルを使うのを許可してくださり、「ウノくんはこういう事情で書きづらいから、みんなは鉛筆だけど、ウノくんはシャープペンを使うよ」とクラスの子どもたちに説明してくれました。書字が苦手な子へのパソコン使用にも柔軟で、卒業文集ではウノ以外にもパソコンで書いた子が何人もいました。工作や家庭科の制作物も、学校で終わらない場合は家に持ち帰ってもよいと配慮してもらえました。 ――ウノくんからの、学校への要望は何かありましたか。 本人が「それは本当にやめてほしい」と言っていたのが、「体育でなわとびができないのに、みんなの前で、できるまでずっとやらせること」でした。古荘先生によると、体育では通常「なわとびを3回跳べたら、次は5回を目指そう」と課題を続けていきますが、DCDの場合は非常に難しい課題になり、できないことで自己肯定感を失うことにつながってしまうそうです。「3回跳べればOK」という無理のない目標で終わること、そして「できない」という感覚を植え付けず、「できた!」で終わることが大切だと教えていただきました。