イスラム的な「都市化の反力」はどこに向かう? 「境目の国」アフガニスタンを考える
イスラムは「ローマ的都市化の反力」
「人類は都市化する動物であり、その心に都市化に対する反力をやどす動物である」というのが僕の基本的な考え方である。 『ローマと長安』(講談社現代新書)を書いていたとき、なぜあのギリシャ思想を受け継いだ合理主義的なローマが、突然のごとく宗教化したのかという疑問をもった。そしてその原因はローマそのものにあるのではないかと考えた。 「ローマは都市建設の文明」といわれるが、物理的な側面だけでなく、帝国の構造自体が、法と力によって都市ローマに属州からの物資と労働力を集約するもので、いわばローマ文明そのものが「猛烈な都市化現象」であったといえる。当然そこに「猛烈な都市化の反力」が生じる。 キリスト教はその帝国の内部から生じた反力であり、イスラム教は、空間的にも歴史的にも、帝国の周縁から生じた反力ではないか。コロセウムや大浴場に見るローマの享楽的な生活と、イスラムの厳しい戒律とはまさに対極にある。 そして都市化の反力から出発した宗教も、巨大化し組織化するにしたがって、文明の推進力となる。イスラムはペルシャ文明を取り込んで都市文明化し、10世紀ごろには西はイベリア半島、東はインダス川までの大帝国を築いた。中近世にはインドでムガール帝国、トルコでオスマン帝国として都市文明化した。しかしその精神の根幹には、ギリシャ・ローマ文明の合理性に対する反力を秘めており、近代から現代に至るまで、ローマ文明を継承する西欧文明と近代文明の対立的周縁でありつづけたのだ。 「神は死んだ」とニーチェは言ったが、それは、西欧文明内部の中近世から近代への転換期における真理ではあったかもしれないが、世界の村々には今もそれぞれの神が息づいている。 特にイスラム教はマルクス主義が凋落したあとさらに勢いを増し、その原理主義的過激派は都市化の象徴であるアメリカ資本主義を敵として激しく戦ってきた。そして「宗教はアヘンである」というマルクスの言葉が示すように、かつてのソ連も今の中国も、本来イスラム原理主義とは相容れない立場である。 その意味で、現在の世界では、資本主義と共産主義とイスラム原理主義が、思想的三つ巴関係にあるといえる。