熱海土石流は肥大化する東京が生んだ災害だ 「国土強靭化」ではなく「国民強靭化」を
近年、毎年のように発生する梅雨末期の豪雨災害。今年は静岡県熱海市伊豆山地区で土石流災害が発生し、多くの人が犠牲となりました。もともと土砂災害のおそれがある地域ではありましたが、土石流の起点周辺にあった違法な盛り土が原因であるとの見方が強く、「人災」と見る向きも少なくありません。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏はこの土石流災害について、「東京という都市が原因ではないか」と指摘します。いったいどういうことでしょうか? 若山氏が独自の視点から論じます。
熱海土石流と東京
東京は炎天がつづき、オリンピックは熱戦がつづき、新型コロナウイルスは感染拡大がつづいている。台風もやってきたが、少し前の雨の話に戻ろう。 さる7月3日熱海で起きた土石流の映像は衝撃的であった。石まじりの土砂が滝水のように斜面をくだって家々を押し流し多くの犠牲者を生んだ。もちろん自然災害であるが、そこにはマクロとミクロ、二つの人間的要因が絡んでいる。近代文明を原因とする地球温暖化による異常気象と、山の急斜面に施された問題の多い盛り土である。 しかしここではそのマクロとミクロの中間の要因として、日本列島の風土と東京の都市化のメカニズムについて考えてみたい。 実は東京という都市そのものがこの土石流の原因ではないか。都市圏人口は3700万近く、実勢として世界最大というべき巨大都市であり、中心繁華街がいくつもある複合都市でもある。国の人口が減る中でも人が増えつづけ、間断なく交通網が整備され、高層ビルが建ち、世界中の商品と情報が集中する。このバケモノのような都市の歴史が、近隣の温泉リゾートである熱海のあり方に強い圧力を加えてきたのだ。 なお本論は、現在論じられている宅地造成と盛り土に関する法的社会的責任とは無関係の、風土論、都市論として読んでいただきたい。
日本の風土と都市化の歴史
日本列島の風土的特色は山と川である。海と森は他の国にも見られるが、緑に包まれた隆々たる山々と、滝のようにほとばしり流れる河川に、これだけ恵まれた国は珍しい。『万葉集』に歌われる日本の原風景も、その山と川が主役であった。 もちろん平野もあるが、その面積は限定されていて、農業の国であった日本は平地の大部分を田畑にせざるをえなかった。人口が増えれば、その平野から川に沿って山へ上っていくように宅地と農地の開発を進めていく。工業時代になると、平地には田畑に加えて工場やビルが立地するようになる。さらに人口が増え都市集中が進むと、大都市周辺の山間部には、宅地開発の大波が押し寄せ、かなり急な斜面にも急速に造成が進められた。当然「盛り土」が発生する。特に東京周辺はその開発圧力が強かったのであるが、たとえば大阪市西成区の崖が崩れ民家が崩落する映像も記憶に新しい。 「人類は都市化する動物である」というのが僕の思考の原点だ。日本列島は長いあいだ、奈良、京都、大阪といった、列島西部の近畿地方を中心に都市化が進められてきた。海外からの文化文明はすべて西からやってきて博多や堺の港に入ったのである。しかし列島の中心部には、北アルプスから南アルプスまで急峻な山脈がつらなって西と東を分断していた。つまりこの山脈の東は、関東(関の東)であり、坂東(坂の東)であり、化外(文化文明の外側)の地であったのだ。 しかし徳川家康が江戸に幕府を開いてから、日本列島の都市化の構造は一変した。日本橋を起点とする街道網が整備され、参勤交代によって全国の大名が往来し、そこに出現した巨大な消費階級を支える商工業者が集中し、江戸は日本最大の都市となったばかりでなく、18世紀には130万を超える(内藤昌『江戸と江戸城』)人口を抱える世界でも最大級の都市となったのである。