中国共産党「百年の孤独」 「ヨーロッパ的普遍主義」から「普遍的普遍主義」への道
今から100年前の1921年7月。中国共産党は上海で第1回の党大会を開いて創立されました。今年7月1日には、創設100年を祝う大規模な祝賀式典が開かれ、習近平国家主席が党のもとで中国が発展してきたことを強くアピールしたようです。 報道を見る限り、磐石と思える習近平体制ですが、建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は「焦りが見えているとも思える。対中包囲網は想定外だったのでは」と指摘した上で、「包囲する側の舵取りが重要」と言います。若山氏が独自の文化力学的視点から論じます。
孤立の影
「北朝鮮のようだ」 中国共産党の創設100周年式典の報道映像にそう思った人も多いだろう。天安門広場には7万人を超える党員らが集まり、よく北朝鮮が行うマスゲームのような光景が展開された。マスゲームとは人間の大集団(マス)が一つの指揮系統に従って行う演技であり、国家統一性の誇示として、近年は社会主義国で行われるのが常であった。しかしベルリンの壁崩壊以後は、北朝鮮の専売特許のようになっていたので、今回の式典に北朝鮮を思い浮かべ、中国が社会主義国であることを再認識させられた人も少なくないだろう。 習近平主席は、毛沢東を彷彿させる人民服(中国では中山服と呼ぶが中山は孫文をさす)で登場した。専門家は、権力が習近平主席に集中して個人崇拝が復活することを意味するという。毛沢東に並ぶ意識だという人もいるし、超える意識だという人もいる。 しかしそこには習近平体制の焦りが見えているとも思える。このところ展開されている対中包囲体制は想定外だったのではないか。国内も万全ではないようだ。人民にも、党内にも、習体制に対する不満がくすぶっているという専門家もいる。ただ、今のところ習主席は軍をほぼ完全に掌握しているようだし、また人民のあいだにナショナリズムが広がっているのも事実だろう。万一仮に、中国が北朝鮮のような道を歩むとすれば、それは危険な孤立への道である。 つまり包囲する側の舵取りも重要なのだ。かつての日本やドイツがそうであったように、国際的な締めつけが、かえってその国の内部の結束を強くする可能性がある。長期化する「対中包囲時代」には、軍事的圧力だけでなく、文化論的長期戦略を考える必要があると思われる。 中国共産党創設100周年式典での習近平主席と参加者たちの表情には「孤影」が感じられた。