イスラム的な「都市化の反力」はどこに向かう? 「境目の国」アフガニスタンを考える
文明主義の墓場
アフガニスタンでは、かつてソ連軍が侵攻して泥沼的な戦争(1979~1989)となり、大きな痛手を負った。アメリカのベトナム戦争にたとえられるが、やはり「風土」の違いが大きかったようだ。 その前には大英帝国も、この地の戦争(第1次1838~1842、第2次1878~1880、第3次1919)で疲弊している。そして今回、アメリカは20年かけた戦争で失敗したということで、この国には「帝国の墓場」というニックネームがある。 歴史を遡っても、ペルシャ(アケメネス朝)、ギリシャ(アレクサンドロス)、インド(クシャーナ朝、マウリア朝など)、イスラム(アッバース朝)、モンゴル、ムガール、オスマンなどの帝国が相次いで支配した。「帝国の墓場」という言葉には、そういった背景もあるのだろう。 砂漠と山岳という風土に加えて、村々は要塞のような構造で、物理的にも支配しにくい国であるようだ。過去の記事でも書いてきたように、高度な戦力が風土に敗れることは歴史がよく示すところである。帝国には風土的限界があるのだ。 こう考えてくると、これまでアメリカに向けられていたイスラム的な「都市化の反力」のベクトルが今後、大国化した中国に向けられる可能性は高い。中国の歴代王朝にとって、匈奴や突厥など、北西の遊牧民(一般的には北方民族とされる)は常に脅威であった。新疆ウイグル自治区とタリバンの問題は、そういった歴史を思い出させる。東アジア情勢にも何らかの影響が出るのは必定だろう。 帝国の墓場とは「資本主義の墓場」でもあり「共産主義の墓場」でもあるようだ。もっといえば「文明主義の墓場」でもあるのかもしれない。近代文明の弊害としての異常気象がつづく今日、タリバンの銃口は、われわれの生活自体に突きつけられているようにも感じられる。 この記事を書いているときにカブール空港周辺で自爆テロが起きて多くの犠牲者が出た。イスラム過激派「イスラム国(IS)」の支部組織が、米国人とその協力者に対して行った、とする犯行声明を出している。バイデン大統領は報復を宣言した。報復の連鎖の先には犠牲者の山しか残らない。