絆はゆるくていい? 自殺の少ない町から探る生きやすさのヒント #今つらいあなたへ
「旧海部町の町並みは家のドアの高さに屋根と引き戸がついている昔ながらの『みせ造り』になっていて、ちょっと屋根の下で雨宿りをしたり、ベンチに座って涼んだりするついでに、立ち話もしやすい。町の建物全体もキュッと密集しているから、そこを通りかかるだけで人の変化にも気づきやすいのかもしれないですね」 また、旧海部町には「病、市(いち)に出せ」という格言がある。朋輩組の由良さんの話からは、この教えが今も町に根付いていることで悩みごとを表に出すハードルが下がっていることがうかがえる。
「『病、市に出せ』の病っていうのは、足や腹が痛いといった体のことだけじゃなく、ちょっと言いづらいことも含めた『悩みごと』のこと。市というのは町のことで、何か悩んでいることを町の人に言ってみたら知恵を借りることができるからそうしなさいという教えなんです。朋輩組では2人1組で町を回って集金しますが、それはお金を集めているというよりも『元気にしとるか』『家族は困ってないか』と確認しに行くためにやっていることなんです。とにかく会うことが大事。顔を合わせていると、言いにくいことも言いやすくなるでしょう」
「私が助けてあげる」は相手を尊重できているか?
地域社会、家庭、職場、学校など、私たちは誰もが何らかの集団に属している。集団の中の人と人とが質のよい絆でつながるために、自殺希少地域から何を学べばよいか。旧海部町を訪れてから数日後、改めて岡檀さんに話を聞いた。
岡さんは「前提として、『集団というのは黙っていれば均質化していく性質がある』と一人ひとりが知っておくことが大切」と語る。 集団内にいる人のタイプや、価値観がそろっていくなど「均質化」が進めば進むほど、集団の中の「ふつう」からはみ出すことが許されなくなったり、はみ出る行動を起こすことが怖くなったりしていく。そういう状況を「生きやすい」と感じる人は少ないだろうが、現に日本中の多くの集団が均質化していると岡さんは言う。 「では旧海部町の中の集団は何が違うのかというと、『多様性を尊重できている』という点です。多様性を尊重するというのはたとえば、悩み相談を持ちかけられても決断までを請け負わないこと。言い換えると、相手の決断を尊重すること。『悩んでいるなら私が助けてあげる』という親切心も、疑ってかかるような見方をすれば助けようとしている人の価値観で動かそうとしている。旧海部町のコミュニケーションは、『困っていたら私が助けてあげる』ということをしないんですよね」 話は聞くが、何をどうするかの決定は当事者に委ねる。それが自分とは異なる他者を尊重するということだと、岡さんは考える。 「海部町も日本の多くの田舎と同じくうわさ話は大好きで、生活にまつわるプライバシーも筒抜け。地元出身者が東京から戻ってくるという話題になれば、一夜にして町中を駆け巡る。そういう点では多くの日本の田舎と同じように“絆が強い”ように見えるかもしれない。だけどそういった他者に関心が強い側面を『女子高校生でさえウザがっていない』ということが研究の中でわかったとき、絆の上に『相手を尊重する心』が乗っかっている点が他の田舎と分けるポイントだという考えに至りました」