江戸時代は日本の「近代」の始まり? 新しい歴史観から見えてくるもの
日本の都市は武将たちによってつくられた
まず、僕の専門である都市と建築から考えよう。現在の日本の主要都市はほとんどが城下町で、安土桃山から江戸初期までにその原型がつくられている。織田信長は岐阜と安土をつくり、豊臣秀吉は大坂をつくり、徳川家康は江戸をつくった。戦国武将は、大がかりな埋め立てや治水を断行し、堀と城を築き、街道を整備し、町割を行なって、文字どおり都市をつくったのだ。彼らに比べれば、明治以後の政治家などは何もしていないに等しい。少しやったのは後藤新平ぐらいだろう。 建築についていえば、たしかに江戸時代まではすべて木造で、明治になってからようやく石造、煉瓦造の洋風建築が入り、昭和初期ぐらいから鉄筋コンクリートとなったので、見た目には大きく変化した。木造の都市は火事に弱いという決定的な弱点があり、近代的な都市集中には無理があった。そう考えれば、関東大震災も東京大空襲も、木造密集都市を放置していたという、人災の側面があったのだ。 しかし、襖、障子、畳など、標準化規格化と組み立てのシステムは見事に発達した。これは僕の専門中の専門であるから自信をもっていえるが、日本の建築、特に住宅の分業組立システムの発達は世界一である。ブルーノ・タウトやヴァルター・グロピウスが日本の建築はモダニズムであると評したのも無理からぬことなのだ。そしてその組み立て技術の精巧さが、現代(少し前)の工業製品の精巧な品質につながっている。 都市と建築の側面において、近代日本の礎は、すでに明治維新以前に築かれていたのではないか。
木版の市民文化
俳句や歌舞伎など、江戸文化は、貴族でも武士でもなく町人が主体であったが、中でも、もっとも華々しく海外にも影響を与えたのは浮世絵である。現代のマンガ、アニメにもつながる複製と物語性の絵画だ。そして同時に浮世草子という現代のペーパーバック(日本でいえば文庫本)に当たる簡易な出版が流行した。これら「木版の文化」が、西洋のエッチングと活版印刷に匹敵する「知と情報の普及」を推進した。 武士の子弟は「藩校」で、庶民の子弟は「寺子屋」で、読み書きそろばんを教えられ、この時代の日本の識字率は世界でも抜群であったとされている。一般庶民への知と情報の普及において、日本の江戸時代はヨーロッパの啓蒙主義時代以上のものであった。江戸文化は、町人文化と卑下することもない、ヨーロッパの市民文化に匹敵するものだと考えることによって、明治以後の急速な近代化の成功の説明もつく。 ある時代の歴史観が、その時代を決定的にした事件の影響を受けるのは仕方のないことで、われわれは明治維新史観と太平洋戦争の敗戦史観のうちにある。すなわち近代とは明治以後であり、現代とは敗戦後であり、明治以前の封建時代はすべてかえりみる必要もない過去であり、だからこそ勧善懲悪のファンタジーとしての時代劇が成り立つという図式である。