江戸時代は日本の「近代」の始まり? 新しい歴史観から見えてくるもの
歴史の教科書などを見ると、日本の近代の始まりは明治維新の前後ぐらいとなっています。しかし、建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、「江戸時代こそ日本の近代の始まり」といいます。若山氏が独自の文化力学的な視点から論じます。
金華山と織田信長
岐阜市の景勝といえば長良川とともに金華山である。市内に取り込まれたようなポツンとした山で、登ってみると、まわりに高い山がないせいか、関東から関西、東海から北陸までを見わたせるような気がして、何とも気宇壮大な心地になる。織田信長が「天下布武」を唱えた気持ちも、信長の前の城主として織田軍をさんざんに撃ち破った斎藤道三の才覚も、司馬遼太郎がその道三を信長の先達と位置づけて『国盗り物語』を書いた理由も、分かるような気がする。急峻な山そのものが鉄壁の要塞となっているのだ。岐阜城である。 前にこの欄で、信長をその時代唯一の近代人と書いたが、日本では「近代」を明治維新以降としているので、奇異な感を抱いた方もいるかもしれない。しかし僕は以前から、江戸時代が、場合によっては安土桃山時代が日本の近代の始まりではないかいう考えをもっていた。この江戸という時代をどう評価するかは、日本の歴史観の要ではないか。
「世界システム」と日本
一般に江戸時代は「近世」とされる。古代、中世、近代という三区分に当てはめにくいので、中世と近代のあいだにワンクッション入れたのであり、もともと曖昧な概念であった。そして近年、イマニュエル・ウォーラーステインが、16世紀において、経済上の「世界システム」が成立していたと提唱し、日本でもその頃を近代の始まりとする僕の考え方が、あながち奇妙というわけでもなくなってきたのである。 ウォーラーステインは、その著『近代世界システム』において、16世紀に成立した大陸間をまたぐ世界的な交易関係が、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスと変化する海の覇権国家の国家体制と不可分のもので、そこにすでに資本主義が成立していたとしている。つまりそのことによって、近代の始まりを16世紀までさかのぼらせた感があるのだ。 外洋を介して「世界」という、物の移動と交換の場が成立したということは、それに伴う情報と知と文化の移動と交換の場が成立したということである。そしてそのことが世界のどの文化にも大きなインパクトを与えた。場合によってはその文化が消滅することも含めて「世界システム」は、以後の人類のすべての文化に決定的な影響を及ぼしたのだ。文化的に見ても、16世紀は、地球上すべての地域の歴史の転換点であるといっていい。 江戸時代の日本は、建物はすべて木造、畳に襖に障子、武士はチョンマゲに刀を差してと、近代のイメージとあまりにもかけ離れているため、表面的な断絶感があるのだが、異民族に征服されたわけではない。江戸から明治にかけて、日本文化は文明をとりいれることによって急変はしたが、実はつながっているのではないか。