森氏の発言に考える 女性尊重の文化をもちながら、女性の社会進出を阻む日本
女性蔑視発言で森喜朗氏が東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長を辞任しました。後任の会長には、スピードスケートや自転車競技でオリンピックに出場した橋本聖子氏が就くことになりました。 【中継録画】五輪組織委の森喜朗会長「女性蔑視」発言を説明 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、「日本は本来、女性蔑視どころか女性尊重の文化」としたうえで、「現在の社会制度と日本人の意識が、急速に変化する国際感覚から取り残されている」ことが問題の本質だと見ているようです。若山氏が独自の視点から論じます。
日本文化は女性蔑視か
森喜朗氏発言への批判は、燎原の火の如く燃え広がった。 政治家の失言は野党やマスコミの餌食となるものだが、今回はまったく様子が違っていた。女性はもちろん、味方であるはずの自民党からも、財界からも、海外からも、ボランティアからも、スポンサーからも批判が相次ぎ、世界をあるいは時代を敵にまわした格好だ。本人が目を丸くしている様子が見て取れる。気の毒な印象もあるが、時代の変化に鋭敏とはいえない人物が、平等の理念を掲げる国際的な大イベントにかかわる組織のトップに居座り続けていたことに、日本(特に自民党)政治の錆びつきが現れているのではないか。新型コロナウイルスによって行政機構の錆びつきが明らかになったのと同根の現象だろう。 気がかりなのは、海外からの反応が非常に強いことだ。もともと欧米には「アジアは遅れた社会」という偏見があるが「中でも日本は女性蔑視の封建的な国」という意見が広がり、日本製品が嫌悪されるようなことになれば、われわれの経済生活にも影響を及ぼしかねない。 たしかに今の日本では、女性が社会的地位を得る比率が低いようだ。大学に勤めていたので、女性の成績と能力の高さを目の当たりにしてきたが、にもかかわらず、政治、行政、公共機関、大企業などに、旧態たる男性社会的な慣習が残っているのは大いに改善の余地がある。僕自身、今の日本は中枢組織の大改革が必要だと書いてきて、デジタル化と女性の活躍がその鍵となる可能性があると考えていた。 しかしこのことから、日本文化そのものが女性蔑視だという意見が広がるとすれば、それは違うといいたい。ここで、海外の人や若い人に誤解されないよう、本来の日本文化はむしろ女性尊重の文化であったこと、そしてなぜ今回のようなことが生じたのか、これから日本はどういう道を歩むべきかを論じておきたい。