安倍政権が残したものとは? アベノミクスの光と影
ポピュリズム政治“宴の後”
「一億総活躍社会」「女性が活躍する社会」「再チャレンジ社会」―― 安倍政権は、選挙の度に様々なキャッチコピーを繰り出し、そこに期待して有権者は票を入れてきた。問題提起は良いが問題解決は乏しい。食い散らかして、後片付けをしない行政となっていないだろうか。筆者が「短期政権の連鎖」と見る所以だ。 安倍政権を正確に表現するなら、「サービスは大きく・負担は小さく」のポピュリズム政治の典型だ。「あれもやります、これもやります」式の政治。赤字国債を垂れ流しながら、声高々と「教育の無償化」「来年は景気が良くなる」を訴える。ポピュリズム政治に明け暮れてきた結果、累積債務は1200兆円を超えた。その間、殆ど改革のメスは入っていない。 国地方の税収は年間100兆円を割り込むが、歳出規模は160兆円を超える(今年度はコロナ禍対対策で200兆円に迫る)。毎年広がる財政のギャップを大量の「国債増発」で凌いできた。次のような話で誤魔化していないか。 ――国は幾ら赤字国債を大量に発行しても返さなくてよい。国の借金する国債を日銀が買い取っている限り、ただ札を刷って賄うだけなので自国通貨の出回る量が増えるだけで何ら問題ない。いま1200兆円を超える債務残高があり、国民1人約1000万円、家族4人で4000万円もの膨大な借金を抱えているが、心配ご無用。借金が幾ら膨れても日本の財政破綻はない。―― この手品師の様な話がMMT理論(現代貨幣理論)と言われるものだ。アメリカのトランプ政権を支える一部経済学者の主張だが、安倍政権もこれに飛びついたのか。国はもっと積極的に借金し公的需要を増やし経済を活性化しろ! それが失業、倒産防止になると。 本当にそうだろうか。他人に貸したカネは忘れても、借りたカネは絶対忘れるな! そう言われて育った筆者のような世代からすると、どうみても奇妙な話だ。 国家と家計は別だと都合のよい理屈で累積債務の増大を容認する様相にあるが、常識的に考えれば借金は返さねばならない。世の中、返してくれない人にカネを貸す人はいない。国家が家計と違うのは国には徴税権があり、必ず借金は返してくれると信じているから国債を購(あがな)う人がいる。国債の信用はそこにある。「国債」は「税金の前借証書」で、「将来集めた税金で返す」という約束の上に成り立っている。 なぜか、地方自治体(市町村、都道府県)には基本的に赤字地方債を出させない仕組みがある。自治体の倒産を防ぐための法律の縛りだ。こうした地方財政法を定めながら国だけは別だというのは詭弁ではないか。ギリシャやべネズエラが国の借金でどれだけ苦しんだか。