歴代最長「安倍政権」7年8か月のレガシーは何か?
憲政史上で最長となった安倍晋三内閣が幕を閉じることになりました。7年8か月に及ぶ長期政権をどう総括するか。安倍首相の政権運営の特徴やそのレガシーについて考えて、政治学者で東京大学大学院教授の内山融氏に寄稿してもらいました 【動画】安倍首相が辞意を表明 持病再発「総理の地位にあり続けるべきでない」
安倍政権の政治手法の特徴とは
8月28日、持病の潰瘍性大腸炎の悪化を理由として、安倍晋三首相が辞任を表明した。2007年9月にやはり病状悪化のため退陣を余儀なくされた安倍氏が捲土重来を果たして民主党から政権を奪還し、第2次安倍政権が発足したのは2012年12月であった。それ以来7年8か月にわたって政権の座にあり、ほぼ一貫して高い支持率を維持した。去る8月24日には、連続在任日数が大叔父である佐藤栄作首相を超えて歴代最長となったところである。 安倍政権では、アベノミクスを推進し官邸主導の政策決定を印象づける一方で、安保法制など世論を二分する政策が導入されたり、森友・加計学園問題や「桜を見る会」などの疑惑が取り沙汰されたりした。 7年8か月の長期政権と強力なリーダーシップを可能としたのは何だったのか。安倍政権の政治手法の特徴について見てみよう。
政治的リソース「蓄積」と「消費」交互に
自らが望む政策を実現したり選挙で勝利したり、首相が政権を思いどおりに運営するためには、一定のリソース(権力の源泉)が必要である。リソースがなければリーダーシップに欠ける弱い首相となってしまう一方、十分なリソースを有しておりそれを活用できれば、リーダーシップを発揮する強い首相となることができる。 このようなリソースには制度的リソースと個人的リソースの2つのタイプがある。制度的リソースとは、法律などによって与えられた制度的権限のことである。20世紀後半(55年体制下)の日本の首相はこうしたリソースが不足していたため一般に弱い首相であったが、21世紀の首相は2つの点で強いリーダーシップの発揮が可能となっている。第1に、政府内での首相の権限が強められた。2001年にスタートした中央省庁改革により、内閣官房が強化されたり内閣府が新設されたりするなど、首相の補佐支援体制が抜本的に強化された。2014年には内閣人事局が設置され、幹部官僚に対する首相の権限も強められた。 第2に、自民党内に対する総裁としての権限も強化された。政治改革で1994年にかつての中選挙区制に代わって衆議院に小選挙区比例代表並立制が導入されたことにより、総裁の持つ公認権の意義が大幅に高まった。中選挙区では党の公認が得られなくても当選することが容易だったために首相の方針への造反も多かったが、小選挙区では党の公認が得られないと(よほど強い地盤を持っていない限り)当選は困難である。このため、首相への造反が表立ってなされることは少なくなった。公認権の持つこうした影響力が存分に発揮された事例として有名なのは、小泉首相による2005年の郵政解散・総選挙である。 このような制度的リソースは、システムによって与えられる一定のものであり、基本的に首相であれば誰でも利用可能である。これに対し個人的リソースは属人的なものであり、可変的である。誰が首相になるかによってその量には差があるし、同じ首相でも政治手法や外的環境によって増減する。個人的リソースとしては、個人の知識や能力、党内での支持基盤などが挙げられるが、もっとも注目されるのは国民的人気である。国民的人気が高い首相であれば、与党内に対しても強い影響力を発揮できる。そうした首相の下で選挙を戦うことが与党議員自身にとっても有利となるため、たとえ本心は不服でも、首相の方針に従う傾向が高くなるからである。反対に首相の人気に陰りが出てくると、党内ではもっと人気の高いリーダーを求める声が強くなり、首相の立場は不安定になってくる。 そして、この個人的リソースの使い方には2つある。リソースを使い尽くして減らしてしまうか、リソースを上手に活用してさらに増殖させるか、である。この点は資産運用に例えるのが分かりやすいだろう。贅沢をして資産を浪費してしまう人もいれば、うまく運用して資産を増やす人もいる。いわば、政治的リソースの運用は消費型と投資型に分けられる。消費型の運用とは、高い支持率を背景としてリーダーシップを発揮し一定の政策を実現するものの、その政策や政治運営の評価が芳しくなく、その後は支持率を下げてしまうものである。投資型の運用は、高い支持率を背景としたリーダーシップ発揮が高評価を受けてより一層の人気を呼ぶ、というものである。 この観点から、安倍政権の政治手法を小泉政権および民主党政権と比較しつつ見てみたい。小泉政権は投資型のリソース運用に成功した。国民的人気を背景として2001年に首相に就任した小泉純一郎氏は、高い支持率を背景に「小泉劇場」とも呼ばれるトップダウンの政治主導を演出し、さらに国民の支持を集めた。2005年の郵政解散・総選挙で小泉首相は、郵政民営化法案に造反した議員を自民党から追い出し、その選挙区に「刺客」として別の候補者を差し向けた。こうした戦術が世論を喚起し、小泉自民党は圧倒的な勝利を収めた。その後の国会では、もはや一人も郵政民営化に反対する議員は出なかった。そして小泉首相は、高支持率を維持したまま惜しまれつつ退陣した。このように小泉政権は、政治的リソースを増殖させる好循環を生み出したといえる。 対照的に民主党政権は消費型の運用に特徴づけられる。2009年の総選挙で民主党が勝利を収めたことにより誕生した鳩山政権は、「脱官僚支配・政治主導」を掲げ、子ども手当の導入や事業仕分けの実施など積極的な政策転換に取り組んだ。しかし普天間基地移設問題における迷走などから支持率を急速に下げ、一年経たずに退陣を余儀なくされた。続く菅内閣では、参院選で敗北した後、東日本大震災と福島原発事故という不幸な出来事が起こったこともあり、それらへの対応などの政治運営が批判されて一年あまりで退陣した。野田内閣では、自民党・公明党との3党合意によって社会保障と税の一体改革を決めたものの、消費増税に反対する議員の離党を招き、2012年12月の総選挙で自民党に大敗し退陣した。このように民主党政権は、高支持率というせっかくのリソースを活かしきれず、3年あまりで幕を閉じることとなった。第1次安倍政権もこのタイプに属していたといえよう。 一方、第2次以降の安倍政権は、消費型と投資型を組み合わせた点に特徴がある。安倍首相は60%(調査によっては70%)を超える高支持率を背景として官邸主導の政策決定を進め、特に最初はアベノミクスに重点を置いた。教育基本法改正など保守的な課題に注力した第1次政権のときとはこの点が大きく異なる。アベノミクスによる景気回復は世論の高評価を受け、高い支持率を持続させた。 安倍首相が本来進めたかったのは憲法改正など保守的な政策だったと考えられるが、当面はそうした政策を封印し、経済政策を前面に出すことにより国民の支持というリソースを蓄積した。保守的な政策は世論を二分するのに対して、経済政策による景気回復は万人が歓迎する。安倍首相は政治的争点を保守的政策から経済政策に移行させることにより、リソース蓄積に成功したといえる。こうして得た高い支持を背景として、安倍政権は国政選挙で連勝してきた。(なお安倍政権下での国政選挙は、衆院選が2014年と2017年に行われており、いずれも与党が3分の2の議席を得る圧勝であった。参院選は2013年、2016年、2019年に行われている) 2013年の特定秘密保護法や2015年の安全保障法制のような世論の反発を呼びやすい政策は、選挙と選挙の間隙を縫って導入された。いわば、それまでに蓄積したリソースを保守的政策により消費したわけである。それが終わると再びアベノミクスを強調し、その成果を掲げて次の選挙に臨んだ。 このように安倍政権は、アベノミクスで蓄積した支持率や議席というリソースを選挙の合間に保守的政策で消費するものの、次の選挙までに再びリソースを蓄積する、というサイクルを繰り返した。リソースの投資と消費をうまく組み合わせたことが、安倍政権が高支持率と長期政権を維持できた秘訣の1つである。