マルセイユと長友佑都…13年前にあった不思議な縁
マルセイユは13年前の映像をしっかりと保管していた。 坊主頭で「2番」を背負った長友が、浮き上がるような弾道のミドルシュートを突き刺した瞬間は、公式ウェブサイト上で公開されたインタビュー内で再現されている。しかも、マルセイユとの接点が生まれたのは一度だけではなかった。 明治大学サッカー部を3年で退部し、2008シーズンからFC東京入りした長友は、南アフリカワールドカップでの大活躍を引っさげて、2010年7月にセリエAのチェゼーナへ期限付き移籍。わずか半年後には名門インテル・ミラノの一員になる、痛快無比なサクセスストーリーを成就させた。 そして、長友にとって2度目の挑戦となった2011-12シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ。グループステージを勝ち抜いたインテル・ミラノは2012年2月22日、マルセイユの本拠地オレンジ・ヴェロドロームでラウンド16のファーストレグに臨み、0-1と苦杯をなめさせられた。 「スタジアムも含めて、サポーターの方々の熱さはすごい、と感じました。実際に僕たちは(ラウンド16で)負けてしまったので、すごく悔しい思いが残っています」 ホームに舞台を移したセカンドレグを2-1で制したインテル・ミラノは、2戦合計で2-2としながらアウェイゴールの差に泣いた。そのマルセイユのユニフォームに袖を通す。チームメイトになる酒井はロッカールームの扉を開ければすでに長友がいて、もう何年も在籍しているかのように周囲へ溶け込んでいる動画を、自身のインスタグラム(@hiroki.sakai_19)へ驚きとともに投稿している。 「コミュニケーションは自分の強みでもあるので。すぐにチームへ溶け込める自信はあります」 こう胸を張った長友を待つのは昨シーズンも26試合に出場した左サイドバック、26歳のジョルダン・アマヴィに次ぐ2番手という立ち位置だ。リーグアンで歴代2位タイとなる9度の優勝を誇り、1990年代にはチャンピオンズリーグも制している名門で繰り広げられる競争は並大抵ではない。