縄文人はどこから来た? 遺伝をめぐる“誤解” 古代ゲノム研究から見えてきたこと #令和の人権
「人種」についてゲノム科学が明らかにすることと、人々の素朴な感情は時に衝突する。太田さんには、それを実感する出来事があった。 太田さんは、2012年ごろから数年間、琉球大学と共同で沖縄の先島諸島で調査を行った。先島諸島は台湾と地理的に近いので、ゲノム的に両者になんらかの共通点が見いだせるのではないかと考えたからだ。宮古島と石垣島の高校生に協力してもらって唾液を採取し、ミトコンドリアDNAを台湾の先住民のデータと比較した。検体提供者には、少なくとも祖父母の代より前から先島諸島に住んでいる人を選んだ。そうしたところ、予想に反する結果が導き出された。 「地理的に近い台湾よりも、アイヌやメインランド(本州)のジャパニーズと遺伝的な関係をより強くシェアしていることがわかったんです」 発表した論文が沖縄の地元紙に大きく取り上げられると、民族的なイデオロギーに依拠した感情的な意見がいくつか寄せられたのだ。「その結果を認めたくない」というものだ。那覇でイベントに登壇した際に直接言われたこともあった。 「『沖縄と本州は違わないと学者さんは言うけれど、やっぱり我々は違うと思っている』と言われました。科学で説明されることと、民族の歴史や文化を混同されたのだと思います。僕は、先島諸島は日本と一体であると主張したかったわけじゃない。台湾の先住民とはゲノム上の関係を見つけることはできませんでしたよ、というだけです。別の調査でも、沖縄の島々はやはり本州とクラスターする(相互に関連する)。比較的最近、日本列島からのジーンフロー(一つの集団から別の近縁の集団へと遺伝子が流入すること)を受けているように見えます。おそらく3千年以内のことです。3千年は、ゲノムの世界では最近と言っていい」
太田さんの補足によれば、約3千年以内の本土日本人のゲノムは、大陸からのジーンフローを受けている。それよりも前、縄文文化の時代(1万6千年前から3千年前)に日本列島に住んでいた人たちが「縄文人」だ。では、縄文人と呼ばれる人たちはどこから来たのか。 その足取りの一端を、太田さんらの研究チームが明らかにした。縄文人は、タイの奥地に暮らす少数民族マニ族の祖先とゲノムの多くの部分を共有していたのだ。2018年に論文として発表した。 「もともとは、ラオスの遺跡から発掘された8千年前の人骨のDNA解析に成功したことが土台になっています。タイやラオス周辺には『ホアビニアン』と呼ばれる狩猟・採集文化が存在し、その継承者と考えられる狩猟採集民が現在も暮らしていますが、発掘されたのは『ホアビニアン文化を持つ8千年前の骨』でした。ホアビニアンの直接の子孫の一つがマニ族です。ホアビニアン人骨のゲノムと似たゲノムを持っているグループを探していくと、東南アジアの古人骨と並んで、日本列島の古人骨である縄文人が浮かび上がってきた。こんなに近いんだとびっくりしました」 約6万年前にアフリカを出たホモ・サピエンスは、いくつかのルートで移動し、枝分かれしながら世界各地へ散っていった。その中に日本列島にたどり着いたグループがいたわけだが、南回りで東南アジアからやってきたのか、北回りでシベリア経由でやってきたのか、研究を始めた当時はわかっていなかった。