自民党総裁選 所見演説会(全文2)菅氏「自助・共助・公助、そして絆」
雇用を守り、事業を継続させることが最優先
同時に依然厳しい経済環境の中で雇用を守り、事業を継続させ続けることが、まさに最優先であると考えます。最大200万円の持続化給付金、公庫や銀行による最大4000万円までの無利子・無担保の融資、こうした経済対策を迅速に必要な方にお届けをしたいと思っております。さらにGo To キャンペーンなどを通じ、感染対策をしっかり講じることを前提に、観光など、ダメージを受けた多くの方々を支援していく考え方であります。今後もちゅうちょなく対策を講じてまいります。 私の原点について少しだけお話をさせていただきたいと思います。雪深い秋田の農家の長男として生まれ、地元で高校まで卒業いたしました。卒業後、すぐに農家を継ぐことに抵抗を感じ、就職のために東京に出てきました。町工場で働き始めましたが、すぐに厳しい現実に直面をし、紆余曲折を経て2年遅れで法政大学に進みました。いったんは民間企業に就職しましたが、世の中がおぼろげに見え始めたころに、もしかしたらこの国を動かしてるのは政治ではないか、そうした思いに至り、縁があって、横浜選出の国会議員、小此木彦三郎先生の事務所に秘書としてたどり着きました。26歳のときです。 秘書を11年勤めたころ、偶然にも横浜市議会議員選挙に挑戦する機会に恵まれました。直前まで公認を得られない厳しい選挙戦でありましたけれども、38歳で当選をさせていただきました。地方政治に携わる中で、市民の皆さま方の声にお応えをしていくためには地方分権を進めなきゃならない。そうした思いで国政を目指し、47歳で当選をいたしました。 まさに地縁、血縁のないゼロからのスタートでありました。時を置いて、今私はここで自民党の総裁選挙に立候補し、皆さんを前に所見の演説をさせていただいております。五十数年前、上京した際に、今日の自分の姿とはまったく想像することもできませんでした。私のような普通の人間でも努力をすれば総理大臣を目指すことができる。まさにこれが日本の民主主義じゃないでしょうか。 世の中には国民の感覚から大きくかけ離れたものが数多く、当たり前でないことが残っております。例えば赤坂の迎賓館。私は総務大臣になって初めて素晴らしい施設に入ったときに、田舎の両親に見させてやりたい、こう思いました。しかし当時は年間で10日間しか開放しておりませんでした。迎賓館は国民の財産です。官房長官になってすぐに、公務で使っていない期間は国民に開放するように指示をしました。現在では年間270日以上開放されています。京都の迎賓館も同じように開放をいたしました。