ほんとうに私だけが悪いのか…「片づけられない」アスペルガーの妻が離婚協議で夫に放った「思わぬ不満」
シンプルに視覚情報で伝える
アスペルガーの人は、高い集中力を発揮する一方、複数のことを同時に処理するのが苦手だと言われている。また、耳で聞いた情報よりも、視覚情報の方が優位な人も多い。 そのため、離婚協議の際は、問題をひとつひとつ区切り、今何について話しているかを明確にする、合意事項についてはホワイトボードに箇条書きしていくなどの工夫をすることで、協議がスムーズになることがある。ただ、勝手な憶測や決めつけはかえって関係をこじらせる。あくまで、本人が望むやり方であることが大切だ。
アスペルガーと安易に決めつけない
本人が受診していないのに、周囲が医者への相談や本などで得た知識をもって「アスペルガーである」と決めつけるのは問題がある。そもそも、本人が社会生活において困難を感じるときにこそ診断や治療の意義があり、周囲の利害関係で受診や診断を強要することはあってはならない。
アスペルガーという原因探しをするより具体的な解決を
たとえアスペルガーだと主張しても、本人が自分の意思で治療を受けなければ効果は見込めないし、治療を受けたとしても、改善するとは限らない。そのため、例えば、「気持ちを分かってもらえない」と感じるなら、本人が理解しやすい方法でシンプルに伝えることが大切だし、「整理されていない家で過ごすのがつらい」なら、「1日15分だけ一緒に掃除する時間を作る」とか、家事代行で解決するといった具体的解決も有用だ。 加えて、多くの場合、アスペルガーだけが理由ではなく、例えばモラハラなど他の問題も複雑に絡み合い、離婚問題に発展しているように思う。そのため、アスペルガーは単なる一要素であり、夫婦の別居や離婚問題の主題ではないことを理解してほしい。
「なんとかやっていける」方法を探る
医学的な診断には、対処方法が明確になったり、社会への説明が容易になったりする利点がある。一方で、「どうせわかりあえない相手だ」というレッテルを貼る行為を助長するという欠点もある。特に、当事者間の話し合いにおいて、「相手がアスペルガーである」と主張することが、生産的な結果を生むことは少ない。 自閉症スペクトラムという言葉が示すように、その特性には個人差があり、同じ特性を持っていても、経済的な状況や人間関係によって深刻さが変わる。また、相手に「理想的な妻、母、夫、父」といった像との差異を見出し、その差異を埋められないことを「人間としての欠陥」と捉えることが、相手を医学的な症状として分類する態度につながることもある。 発達心理学者ウィニコットは、「グッド・イナフ・マザー(ほどよい母親)」という概念を提唱し、完璧でなくても、ある程度の不完全さを持つことが、むしろ子どもの成長に良い影響を与えると述べている。重要なのは、親として何が足りないかを列挙することではなく、現状をどう解決するかという視点だ。まずは、家族として「なんとかやっていける」方法を模索することが考えられる。たとえば、手を抜く方法、休むタイミング、助け合う工夫をすることが大切になる。
必ずしも同居にこだわらない
一方で、相手が完璧か完璧でないかといった議論とは別に、相手と自分の「違い」がしんどいこともある。相手がやっていることが世間的に正解か間違いかは別にして、自分の正解と大きく違っている場合、その「違い」を毎日目の当たりにし続けることが康太のように負担になることもあるのだ。そんな場合は別居や離婚という方法をとることで、家族全体のバランスをとることもできる。 自分や相手が完璧でないと感じても、さらに傷つけあう必要はない。利用できるものは何でも使いながら、また、必ずしも同居にこだわらず、今できることの中で折り合いをつけて進んでいくことこそが、家族が前に進むための現実的な方法だ。
小泉 道子(家族のためのADRセンター代表、臨床心理士)