5~8番ホームが「欠番」となった日暮里駅のナゾ
西日暮里駅とわずか500mの距離
もともと1.3kmあった田端と日暮里駅のあいだに、あとから西日暮里駅が割り込んだので、西日暮里-日暮里間の距離は0.5kmと、山手線の駅間距離のなかではいちばん短くなってしまった。西日暮里駅でドアが閉まってから、日暮里駅に到着し開くまでの時間を測ってみたら65秒だった。これではゆっくり景色を眺めている暇もない。右側には相変わらず高台がつづき、左手は東北新幹線、そして新幹線の壁に遮(さえぎ)られてほとんど見えないけれど、尾久からの東北線が近づき、それを乗り越す高架上に京成電車の姿が認められるのだが。 112年続く日本最古の遊園地「ひらかたパーク」はUSJよりオモロイわ~ 日暮里駅の開業は1905(明治38)年4月1日。今年は開業120年である。 田端や西日暮里駅の稿で触れたように、日本鉄道が現在の常磐線を敷設した際、最初に起点としたのは田端だった。いまも貨物線として使われている、三河島方面から北西方向へアプローチして田端に通じる線が当初の常磐線だった。しかし、この線形では上野駅へ出入りするのに、機関車を連結しなおしてスイッチバックしなければならない。なんとか手間を省こうと、三河島から180度の急カーブを描きながら東北線に接着する新線を建設して、交点に日暮里駅が開かれたのである。よって、現在はこの駅が常磐線の起点駅だ。 とはいえ、日暮里駅を始発や終着とする常磐線の列車はなく、すべてが上野もしくは品川まで運転される。日暮里から上野を経て東京までは東北線、そして東京-品川間は東海道線の線路に乗り入れて運行されているのである。 このように、日暮里駅は東北線の途中駅でもある。じつは大正期までさかのぼると、ほとんどの東北線列車が日暮里に停車していた。手元の1925(大正14)年4月号の復刻版時刻表を見ると、東北線の駅名欄で上野の次は日暮里であり、次が田端、王子とつづいている。 しかし、1934(昭和9)年の時刻表では、大半の列車は日暮里通過を示す「レ」の表示となり、停車する列車は下り4本、上り3本にまで激減した。この間の1929(昭和4)年に尾久経由の別線が完成したので、日暮里の次は尾久となった。そして、戦後になり日暮里に停まる中長距離列車は姿を消し、時刻表の東北線駅名欄からも日暮里は削除されたのだった。