第166回直木賞受賞会見(全文)米澤穂信さん「ミステリーは自分にとっての大事な軸足」
今後もミステリーを書いていきたいのか
共同通信:もう1点だけ、すいません。これまでミステリーもっぱらというか中心に書かれてきましたけれども、今後もやはりミステリーを書いていきたいというような思いが今、段階で、あるかどうか教えてください。 米澤:そうですね、ミステリーというのは私にとって非常に大きな軸足です。その軸足があったからこそ、どのような舞台を書いても、どのような世界を書いても、自分の小説というのが書いてこられた。それは間違いのないところだと思います。なので、これからもその軸足というのは大事にしていく。 ただ、先ほど申しましたように、これから先、自分がどういう小説に出合うのか、どういう小説を自分が書かなければならないものとして浮かんでくるのかっていうのは、自分でも分からない。もし、今度の小説を絶対にミステリーを必要としない、ミステリーを必要とした場合はかえって小説を損なうだろうっていうものに、お話に巡り合ってしまったとき、それでもミステリーを書くのかというのは自分でも分からない。ただ、ミステリーは自分にとっての大事な軸足であり自分の柱だというのは一生変わらないことだと思っています。 共同通信:どうもありがとうございます。 司会:ありがとうございます。 米澤:ありがとうございました。 司会:ではあと2問ほどとさせていただきます。すいません、指をささせていただきます。こちら、ネクタイを掛けられている。マイクのほうにお越しください。
岐阜県の風土や環境はどう影響を与えたか
岐阜新聞:おめでとうございます。岐阜新聞社の【イノウエ 00:34:04】と申します。 米澤:ありがとうございます。 岐阜新聞:岐阜県ご出身ということで。岐阜県の風土とかお生まれになった環境が、ご自身の創作や作家活動の中にどのような部分で影響を与えているかという、その辺りをちょっとお聞かせいただければと思います。 米澤:そうですね、学校で教わることが多かった私にとって、さまざまなことに疑問を持つっていう、その最初期の記憶というのがありまして、私は岐阜県の中でも飛騨の生まれです、おそらく私の記憶が間違っていなければ飛騨でこの賞をいただくのは初めてではないかと思うんですけれども、飛騨というのは戦国時代、じゃない、失礼しました、江戸時代に幕府領だったんですけれども、いったいどうして飛騨が幕領なのかというのは当時とても疑問だった。 あるとき学校の先生に、それは飛騨は材木が取れたからだよっていうふうに教わったんですけれども、そのときはそれで良かった、そうだったのかと思って済んだんですけれども、あとあとになって、じゃあその材木はどこに運んだのか、どうやって運んだのか、どこで必要としたのか、そういうことが疑問になっていった。 そういう自分の生まれ育った場所のことをもっと知りたい、これはいったいどういうことなんだろうっていうふうに自発的に調べた経験っていうのは、もしかしたら自分が小説を書く最も基礎的な姿勢になっているのかもしれないと思います。 岐阜新聞:ありがとうございます。もう1問。あと、地元にも先生のファンが結構数多くおられるので、地元の若者たちに一言ちょっとメッセージをいただけたらというふうに思います。 米澤:そうですね、広く読んでいただけてとてもうれしい、ありがたいと思っています。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。 岐阜新聞:ありがとうございました。 司会:ありがとうございました。じゃあ最後の1問とさせていただきます。では、指をささせていただきます。そちらの、今お手をお挙げに、今、顔を動かされた。はい、そうです。お願いします。