震災ボランティアから「ヨソモノ・ワカモノ」議員へ――新市議たちが見つめる石巻の未来 #知り続ける
今回の石巻市議選の結果について、地方選挙の研究を続ける東北大学の河村和徳准教授(政治学)は、石巻だからこそ起こりえたことだと指摘する。 「石巻はかつての北前船の寄港地で、地縁社会である東北地方のなかでは比較的ヨソモノを受け入れる素養があります。男性が不在になりがちな漁師町で女性の発言権も強い。さらに、震災で沿岸部が壊滅的な被害を受け、内陸部への移転がありました。旧来の地縁が再編されたんです」 震災10年を迎えたことも、元ボランティア当選の大きな要素だという。 「10年と定められた復興期間が終わり、自分を被災者と考える『主観的被災者』は少なくなって支援の手も細っています。復興をたたむ時期だからこそ、主観的被災者は自分たちを代弁する議員を求めたともいえるでしょう」
谷祐輔はまさに、「主観的被災者」に支持された候補かもしれない。 谷もまた、11年4月にボランティアとして石巻を訪れた。ちょうど、福岡県のハウスメーカーを退職した頃。退職直後で時間にも金銭にも多少の余裕があり、当初から3カ月という長期の予定で活動を始めた。そして、そのまま6月に住民票を移し、早々と「市民」になった。 「家がきれいになったことより、『遠くから来てくれたんだね』と、そこを喜んでくれる人が多かった。『市民になったよ。もう帰らないから』って言ったら、この人たちもっと喜んでくれるかなと思って」 まだ、大学のグラウンドにつくられたテント村で暮らしていた頃。その後市民になったボランティアは少なくないが、谷は最初期の移住組だろう。その年の9月には市の社会福祉協議会に就職、21年末に退職するまで約10年にわたって勤めあげた。 震災で破壊されたコミュニティーの再建、地域福祉が谷の仕事になった。
震災は、「3度コミュニティーを壊す」と言われる。元のすみかを失い、何とか助け合って生きてきた避難所を出て、仮設住宅で新たな生活を始めるがそこも数年で離れることになる。谷は仮設住宅でのコミュニティーづくりを手伝い、仮設退去後の新たな地域社会再建にも奔走した。 「やっと仮設住宅を出て災害公営住宅に移ったおばあちゃんが、すごく寂しそうに『仮設に戻りたい』と話してくれたことが忘れられない。仮設住宅でできた人間関係が心地よくて、離れるのがつらかったんです。人と人とのつながりが地域をつくる。その大切さを感じ続けた10年でした」 同じように石巻へ移住した元ボランティアの女性と結婚し、4年前には娘が生まれた。娘の誕生で、漠然と考えていた政治への思いが具体的になったという。 「娘が生まれたとき、ずっと石巻で暮らしていくんだと強烈に実感しました。この街には私や妻の親戚は誰もいない。いま私たちが死んだら娘は生きていけるのか。障害がある子を持つお母さんから、『何とか子供の後に死にたい』と言われたこともありました。すごく悲しかった。障害があっても、親戚がいなくても、誰もが地域のつながりのなかで安心して生きていける温かい社会をつくりたいんです」 出馬を公言して以降、「地盤もないのにむちゃ」「そんなに甘い土地じゃない」と何度も言われた。 「確かに地縁も血縁も、宗教や組織などの基盤もありません。それでも、11年間地域福祉に携わり、仮設住宅や災害公営住宅で暮らす人と向き合った。そのつながりが私の基盤です。納得してくれる人は少なかったけれど、目に見えないつながりが社会や政治を変える原動力だと信じています」