津波から助かった大川小の哲也さん(22) 11年間の苦悩と、母校や妹への思い #知り続ける
東日本大震災で津波に襲われた石巻市立大川小学校は児童74人、教職員10人が亡くなる大惨事となった。当時小学5年生の只野哲也さん(22)も津波にのまれたが、一命を取り留めた。一方で祖父、母、妹を失った。環境が激変する中、哲也さんは子どもたちの思いを背負って講演などで活動。大川小の遺構について考える任意団体も先月設立した。震災から11年、これまでの苦悩や、母校、妹への思いを聞いた。(取材・文:ジャーナリスト・池上正樹/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
震災から11年、不思議な感覚
「亡くなった家族と過ごした期間が11年です。それと全く同じ時間が経ったかと思うと、なんか不思議な感じがします」 宮城県石巻市の只野哲也さん(22)。11年前の東日本大震災で津波に襲われ九死に一生を得るも、祖父・弘さん(当時67)、母・しろえさん(同41)、妹・未捺ちゃん(同9)の3人を失った。震災が起こるまで11年、震災発生から11年。「同じ時が経過したのは不思議な感じ」と哲也さんは表現した。
ここ最近、表舞台に出ることを控えていた哲也さんだったが、先月、大きな行動を起こし、注目を集めた。震災遺構として昨夏から一般公開された大川小学校について考える任意団体「Team大川 未来を拓くネットワーク」(以下「Team大川」)を設立したのだ。メンバーには大川小時代の同級生や卒業生ら、20代の3人も名を連ねた。 設立の目的は、若い世代と大人で協力しながら、子どものいのちを真ん中に、今後の大川小の保存方法や展示内容、被災の伝承について考えていくことだった。
津波から助かるも、「奇跡の子」への違和感
哲也さんが通った大川小学校は、北上川の河口から4キロほど内陸の川沿いに立っている。小学5年生だった2011年3月11日、震度6弱の地震が発生し、教室にいた哲也さんら児童は安全を確認しながら校庭に避難した。余震が続き、津波の襲来が予想される中、裏山に避難すべきか、校庭にとどまるべきか。教師らの間で意見が分かれた。 「校庭で先生たちはラジオを聴きながら話し合いをしていた。6年生が『山に逃げよう』と言い、先生も『山へ行くか』と言っていたけど、結局山に登らずに移動を始めた。(自分は)山でもいいんじゃないかって思っていたけど、勝手に行動できないんで……」(哲也さん=2013年の取材時)