震災ボランティアから「ヨソモノ・ワカモノ」議員へ――新市議たちが見つめる石巻の未来 #知り続ける
中でも、都甲マリ子は全体15番目、1665票を集めた。 異例ずくめの新人候補だった。震災を機に移住した元ボランティアであることに加え、全立候補者で最年少の36歳、そして、選挙戦当時妊娠8カ月。立候補を強く意識するようになった昨年12月には、既に第一子の妊娠が分かっていた。 都甲は言う。 「選挙に出ていいのか迷いは確かにありました。でも、その葛藤自体が女性の社会参画を考えるうえで大きなマターだとも思った。周りの人、特に驚くことに高齢の人たちが、想像以上に強く後押ししてくれたことも自信になりました」
東京都町田市出身。震災当時は俳優の養成所に通っていた。11年4月9日、NGOが派遣する1週間のボランティアとして石巻へ。いったん東京に戻ったあと、再び1週間。その後はNGOで活動した避難所を個人で再訪し、10月の避難所閉鎖まで泊まり込みで活動したという。 約半年を避難所で過ごし、閉鎖後も石巻に残ることを決めた。 「『どうせ帰るんだよね』と言われたことが、すごく心に引っかかった。自分がいなくなることが喪失感につながると気づいて、だったら残ろうと。この頃に転入届を出しました。市役所の人に『ありがとうございます』と言われたことも印象に残っています。外からの力を必要としてくれているんだって」 15年からは演出家として福島県に拠点を移したが、17年ごろ、再び石巻へ。19年には石巻出身の男性と結婚している。 政治への関心が強まったのは市民運動からだ。都甲は20年から、石巻から出航したとされる慶長遣欧使節船「サン・ファン・バウティスタ号」の復元船保存運動に参加する。展示されていた復元船の老朽化を理由に県が解体を決めたが、市民団体は保存を訴えた。都甲は事務局の一員として主に広報や発信を担当。県に対する解体差し止め訴訟でも原告に加わった。 「この件も含め、政治的な決定が先にあり、市民の声が反映されない仕組みになっていると感じることが多くありました。政治だと解決できるのに、ほかの方法では解決が難しいことがある。石巻には少子化など様々な課題もあります。政治の力でそれを動かせるなら、と挑戦を決めました」 当選後、都甲は別の議員がつくった新会派に加わった。都甲を含めて会員2人の小会派で、会派幹事長を担う。 最大会派にも、第二会派にも、「入会を拒まれた」。 「ヨソモノで、女性で、妊娠しているという状況もそうですし、サン・ファン号の保存運動のように既存のスキームに異を唱えるような活動をしてきたことも含めて、同僚議員からは相当異色に映っているのかなと思う。そういった人を仲間に引き入れることのリスクを測りかねているのかなと感じました」 大きな悲しみもあった。都甲の支援者だった医師の長純一氏が、6月2日に膵臓がんと診断され、28日に死去。都甲と共に街頭に立っていた5月の選挙からわずか1カ月余りの出来事だった。長氏は21年の石巻市長選と宮城県知事選に出馬。「いのちをつなぐ」を掲げ、出産・子育て・子ども支援の充実などを訴えてきた。都甲も陣営の一員として長氏の選挙戦を支え、今回の市議選では長氏の全面的な支援を受けている。 「私は先生の最後の仕事として託されたバトンを受け継いでいかなければなりません。あまりにも重い使命ですが、一歩ずつ進んでいきたいと思っています」