「人ってね、跡形もなくなると未練も何もないの」――故郷・大槌町を撮り続けたアマチュア写真家の10年 #あれから私は
甚大な被害をもたらした東日本大震災から10年になる。岩手県大槌町のアマチュア写真家、伊藤陽子さん(70)は、震災の翌日から被災した地元を撮り続けてきた。「どのような状況だったのか、多くの人に知ってもらいたい」と、翌年には自費出版の写真集も上梓した。自身も津波で自宅を流され、兄2人を失った伊藤さん。10年経った今、何を思うのか。胸の内を語ってもらった。(取材・文:阿部万里英/撮影:大谷広樹/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
大規模火災も発生した大槌町
岩手県の三陸沿岸に位置する大槌町。地震や高さ10メートルを超える津波が、町民の約1割にあたる1286人の命を奪った(死亡届の出ていない行方不明者1人、関連死52人を含む)。住宅地・市街地面積の52%が浸水。町役場も“黒い津波”にのみ込まれ、町長や職員の約2割が犠牲となった。さらに自動車の電気配線がショートしてガソリンに引火するなどの原因で大規模な火災が発生したが、被害の全容はなかなか外部に伝わらなかった。
震災翌日から、変わり果てた故郷をカメラに収め続けてきたアマチュアの写真家がいる。伊藤陽子さん(70)だ。肌身離さず持ち歩いていたデジタルカメラは、震災があった当日も車に積まれていた。 「何もかもなくなったけど、カメラだけは残ったのよ」 それからというもの、何かに駆り立てられるように無心でシャッターを切り続けた。
震災直後、瓦礫の山と化した町を茫然と眺める男性。民宿に乗り上げた船。写真は、被災地の過酷な実情を映し出している。プロの写真家ではなく、素人目線だからこそ伝わる現実味がある。
「電気もないし何にも稼働してない。なんとか歩ける状態で、この信号の下に差し掛かった時に、スズメの声が聞こえたの。スズメの巣は火災で全部燃えてしまい、この信号機の間に巣を作ってたみたいなの。チュンチュンッて聞こえて見上げたら、巣があって、『え? 信号溶けてる……』って。それが10月。それまでずっと下ばっかり向いて歩いてたんだね。スズメが鳴かなきゃ溶けた信号機に気づかなかった」