もはや死語? 高校野球の「エースで4番」が激減した理由
「エースで4番」はもはや死語なのか。8月6日、今年も夏の甲子園が始まる。かつてはマウンドで熱投を繰り広げながら、中心打者として重責を担う選手が多数存在した。だが、今年の出場校の地方大会決勝を見ると、「4番・ピッチャー」は3校(6.1%)に留まった。なぜ、激減したのか。元米子東監督で、NHK高校野球解説者の杉本真吾氏に聞いた。(文:岡野誠/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
希少な存在となった「4番・ピッチャー」
昭和の高校野球では、エンゼルスの大谷翔平のように打者と投手で大活躍する“二刀流”が甲子園で躍動していた。「4番・ピッチャー」は1915年の第1回大会では出場10校中4校(40%)、現在の1都道府県1代表制(東京、北海道は2校)になった78年でも49校中10校(20.4%)に存在していた(いずれも初戦を対象。以下同)。 現在のような低水準は、昭和から平成へ移り変わる頃に始まった。78年から92年まで15年間の全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)でピッチャーが4番、クリーンアップ(CU、3~5番)を打った確率、優勝校のピッチャーの決勝戦での打順は以下のようになる(名前は当時、全て出場49校)。
78年 4番:20.4% CU:44.9% PL学園・西田真次/4番 79年 4番:18.4% CU:34.7% 箕島・石井毅/9番 80年 4番:16.3% CU:49.0% 横浜・愛甲猛/3番 81年 4番:12.2% CU:32.7% 報徳学園・金村義明/4番 82年 4番:14.3% CU:44.9% 池田・畠山準/4番 83年 4番:16.3% CU:42.9% PL学園・桑田真澄/8番 84年 4番:14.3% CU:30.6% 取手二・石田文樹/6番 85年 4番:8.2% CU:28.6% PL学園・桑田真澄/6番 86年 4番:12.2% CU:30.6% 天理・本橋雅央/8番 87年 4番:12.2% CU:22.4% PL学園・野村弘/6番 88年 4番:18.4% CU:32.7% 広島商・上野貴大/7番 89年 4番:8.2% CU:32.7% 帝京・吉岡雄二/4番 90年 4番:10.2% CU:32.7% 天理・南竜次/8番 91年 4番:18.4% CU:36.7% 大阪桐蔭・和田友貴彦/9番 92年 4番:4.1% CU:16.3% 西日本短大付・森尾和貴/8番 (データは各年の『週刊ベースボール増刊 全国高校野球選手権大会総決算号』をもとに筆者調べ。パーセンテージは小数点第2位を四捨五入。以下同)