彼に感じたのは、怒りや憎しみよりも哀れみ――記者会見での性加害告発から4か月、カウアン・オカモトが語る自身のルーツと生き方
故・ジャニー喜多川による性加害を実名で告発し、大きな「うねり」を巻き起こした日系ブラジル人で元ジャニーズJr.のカウアン・オカモト。外国人だからこそ目指した芸能界と日本語を学びながらのジャニーズでの活動、告発についての思い、そして今後について――。日本外国特派員協会での記者会見から約4か月。今の率直な気持ちを語ってもらった。(取材・文:室橋裕和/撮影:木村哲夫/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部、文中敬称略)
外国ルーツという共通点があった、喜多川とカウアン
「性加害などネガティブなこともありましたが、ジャニーさんには感謝しています」 カウアン・オカモト(27)はそう振り返る。彼は両親が日系のブラジル人だ。故・ジャニー喜多川(享年87)はアメリカ生まれの日系2世。ふたりには外国ルーツという共通点があった。 「ジャニーさんはよく、自分も日系で、日本語よりも英語のほうがメインなんだよとか、ほかのジュニアには言わないようなことも僕には話していましたね」 日系人としてふたつの国の狭間で苦労しながら、成功するためエンターテインメントの世界に飛び込んだ喜多川とカウアン。だが同じ気持ちを持っていたはずのふたりは後に、加害者・被害者となってしまう。
日本人になりたいのに、なれない日々
「ふるさと、どこかって言ったら団地ですよね」 愛知県の豊橋市にある老朽化した県営住宅で、カウアンは生まれた。「ブラジル団地」と呼べそうなほど、日系ブラジル人ばかりが住んでいたそうだ。 ともに日系3世だった両親が日本に来たきっかけは、1989年の入管法改正だ。「日系2世と3世、その配偶者」が日本で働き、定住できるようになったのだ。なぜそうした法律ができたかといえば、人手不足だったから。当時の日本はバブル景気真っ只中。モノはつくればつくるほど売れたが、製造業は3K(きつい、汚い、危険)と呼ばれて敬遠され、常に労働力が足りなかった。 日本の文化に馴染みやすいだろうと、日系人が改正法の対象となった。ブラジルやペルーなど南米には、明治から昭和にかけて移住していった日本人の子孫がたくさん暮らしている。彼らが労働者として戻ってきたというわけだ。カウアンの両親もその中にいた。製造業がさかんな豊橋で働くことになった。