「はやぶさ2」カプセル回収前にJAXA会見(全文2)未来にバトンつなげたい
今どのような思いで「はやぶさ2」を見ているのか
東京とびもの学会:よろしくお願いいたします。東京とびもの学会の金木と申します。まずお三方にお伺いしたいんですけども、吉川先生、國中先生、津田先生、それぞれがそれぞれの時期に「はやぶさ2」のプロジェクトマネージャを務めたことがおありだと思います。今、地球帰還に当たりまして、それぞれのそのときどのようにバトンを受け継いでバトンを受け渡し、そして今はどのような思いで「はやぶさ2」を見ているのか、お聞かせ願えればと思います。 吉川:ご質問ありがとうございます。じゃあ今度は私のほうから。私のほうは「はやぶさ2」の立ち上げ期のときに、最初は「はやぶさ2」のミッションのチームのリーダーとして、途中からプロジェクトマネージャだったんですが、今思い出しますと、今から15年前ですね、「はやぶさ」初号機がトラブルを起こしてしまったと。そのあとからすぐに「はやぶさ2」に向けた検討が始まるんですが、なかなかすぐにはプロジェクトができなかったということもあって、今日15年後にこういう形で迎えることができたというのは本当に感慨深い状況です。私のほうは立ち上げだけでして、そのあと探査機の製作とか運用は次々と替わって、どんどんいただいたということになります。
3年半ぐらいしか工期がなかった
國中:私は、この「はやぶさ2」の製造フェーズでプロマネというのをやったんですけども、予算が認可されたのが2011年で、打ち上げましたのが2014年の12月ですから、3年半ぐらいしか工期がなかったんですね。かなり厳しいなという印象で、これを引き受けるのは結構きついなというのが当時の印象であります。しかし、ちょっと受けざるを得なかったので、プロジェクトマネージャをやりました。 しかし製造中もたくさんトラブルに見舞われましたが、そのそれぞれの困難を開発チーム、それから企業とタッグを組んで、1つ1つ解決し、1つ解決するとまたその次が出てきて、それを解決するとまたその次に問題が出るというような、非常に過酷な3年半だったという記憶をしておりますが、ある意味その「はやぶさ1」でやった小惑星サンプルリターンという事業が、探査がどういうものなのか、それがもたらす効果、それから成果というのを各メンバーが共感し、共有していたということが大変大きな団結力を、それから結集力を生み出したんだろうなと思っています。 そういう「はやぶさ1」の礎があったからこそ、「はやぶさ2」というのは短い工期であってもたくさんの困難があったとしてもタイムラインを確実にこなし、打ち上げまでたどり着けたんだというふうに思っています。大変、口の悪い人がいまして、JAXAの中には。「はやぶさ1」は宇宙で奇跡を起こしましたが、「はやぶさ2」は地球で奇跡を起こしましたねっていうふうに言われたことを強く記憶にとどめております。以上です。 津田:私は打ち上げたあと、2015年4月からプロジェクトマネージャを引き継ぎました。それより前はずっと開発を現場でやってきたので、探査機のことは技術的にはよく把握しているということが任された要因かなと思います。で、私自身は「はやぶさ」1号機の打ち上げの直前に、この宇宙科学研究所に入りまして、そこで「はやぶさ」1号機の運用にずっと携わってきました。そこで、私はそのころ新人だったので、そこで行われている運用、即断即決でどんどんすごいことが決まっていって、トラブルをどんどん対処していく。それでも悪いことが起きるっていうのを現場で経験して、そこでこれは次はどうしなきゃいけないんだっていうのをいろいろ吸収させてもらいました。それを「はやぶさ2」のプロジェクトが立ち上がって生かす場が与えられた、与えていただいたというのは私にとっては非常にタイミング的に幸運だったと思います。