「写真家ではなくカメラマン」フィルムからデジタルへ 時代は変わっても変わらない山岸伸さんの矜持
写真家・山岸伸さん(72)はポートレート撮影の第一人者として広告からグラビアまで幅広く活動を続けている。撮影した写真集は400冊以上を数え、被写体はばんえい競馬や世界遺産にも及ぶ。2009年からは白血病の投薬治療を受けながら、ライフワークともいえるシリーズ写真展『瞬間の顔』を展開してきた。フィルム時代からデジタル、ネット時代へ。そして「写真家」ではなく「カメラマン」へのこだわり。激変する写真や写真家を取り巻く環境の中で、山岸さんは何を感じながら撮り続けるのか。(取材・文・撮影:志和浩司/Yahoo!ニュースオリジナル特集編集部)
「今とは感覚が違う」グラビア全盛時代
ビジネスパーソン、アスリート、タレント、政治家......。これまで出会った各界の第一線の人物たちを15年にわたり撮り続けたポートレートの作品群『瞬間の顔』。山岸さんは今年3月に行われた展示で一区切りをつけた。その数、実に1000人分に達する。 「これからどうするかを考えたとき、僕は女性を撮って生きてきたので、やっぱり女性を撮りたいなと思うんです。今の若い子たちはアイドルやタレントのグラビアを撮っていた頃の僕をほとんど知りません。女性以外のテーマを撮って生きていくという方向性もあるんだけど、ここまできて『山岸は女性を撮れなくなった』と思われるのはしゃくだし、あえてそこに身を置かなければという自分がいるんです」
雛形あきこや武田久美子、細川ふみえ、かとうれいこといった当代の売れっ子を撮った写真集は大変な話題作となった。女性タレントだけではない。とくに1986年の米米CLUBとの出会いは「KAO'S」というアートに発展した。最初はバンドメンバーの石井竜也(カールスモーキー石井)がジェームス小野田の顔にメイクを施し、それを山岸さんが大判フィルムカメラで撮影するというシンプルな試みから始まった。だが、アート性の高さが注目を集めて1992年には米ニューヨークでも写真展を開催。その後は、日本に当時2台しかなかったスーパーコンピューターを使用し、スキャンした写真を石井がタッチペンで加工するという独創的なプロセスで制作されるようになった。 カメラマンとして飛ぶ鳥を落とす勢いで活動していた山岸さんだが、次々と芸能人のグラビアや写真集を出していた当時は今とは感覚が違っていたと振り返る。 「20~30年前は芸能界のグラビア仕事が多くてそれ一本。億を稼いで『ベンツだ、ポルシェだ』とクルマも3台持って、一軒家に1人で暮らして。船を買って助手とマネージャーに何十万円もかけて免許を取らせ、東京湾に船を浮かべて悠々自適。ただ僕は慎重なところがあって『こんなこといつまでも続くわけがない』と思っていたんです。そこでまず半年かけて船を売って、若い頃に買った金のロレックスも売って。 若い頃は買うこと自体が喜びでしたが、一回も使わないでしまっているのもおかしい。今が売り時だとマネージャーに持たせたら80万円になったから、それでみんなに臨時ボーナスを払いました。いいときに変な散財をしなかった。借金が嫌いで一切無借金で運営してきたから今のきつい時代も乗り切っていけるんです」