下積みゼロから瞬く間にスターダムへ。一転、借金22億円を抱えても折れない山田邦子が見たお笑いの世界
レギュラー週14本、好感度ランキング8年連続1位。テレビに出れば高視聴率を獲得し、本を出せばベストセラー。1980年代後半から90年代初頭、日本がバブル景気に浮かれるなか、それまで男性社会だったお笑いでひとつの時代をつくった唯一の女性タレントがいた。彼女の名は山田邦子。60歳を過ぎた現在もなお、YouTubeなど飽くなき挑戦を続け、彼女が最も輝いた90年代を知らないZ世代からも再び熱い視線を浴びている。いいときもあれば、そうでないときもある。つらいことを乗り越えてきた山田の“順番こ”理論に迫る。(取材・文:キンマサタカ/撮影:柴田フミコ/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
下積みはなく一気にスターダムへ
お嬢様学校で過ごした山田邦子が芸能界入りしたのは1981年のことだった。近所でも有名なひょうきん娘だったが、素人参加番組に出たところ、あれよあれよという間に勝ち進み、一気にスターダムを駆け上がった。 「それまでお笑いタレントといえば、漫才出身者がほとんど。そこに、ポッと現れた素人、それも女性でしたから珍しかったんでしょう」 かつてない経路で人気者になった山田に、テレビは一斉に飛びついた。そして、歯に衣着せぬ発言に、ブラウン管の中の大人たちを面食らわせると同時に、お茶の間は喝采を送った。どんな相手でも臆せずズカズカ踏み込み距離を縮めていく姿は、しきたりが重視される世界で異彩を放った。「今でいうフワちゃんのような態度だったのでしょう」と山田は振り返る。 「私みたいな失礼な人間はいなかったですよ。誰かの元で修業をしたわけでも、師弟関係があるわけでもないから、どこの現場に行っても『あんた誰? 偉い人なの?』って態度でした。偉そうにねえ(笑)」 顔をしかめる大人も多かった。だが、売れっ子たちの多くは山田のことを面白がった。お笑いの現場に珍しい若い女性ということも大きかったに違いない。多様なジャンルの先輩にかわいがられ、バラエティーにドラマにと声がかかった。だがお笑い芸人の立場は低かった。 「俳優がいて、歌手がいて、お笑いなんて芸能界で最も下の扱いでした」