誹謗中傷報道に苦しみ裁判で勝訴ーー中島知子が語る「別府移住で笑顔を取り戻すまで」
「いま番組の収録が立て込んでいて、珍しい状態なんですよ」と元オセロの中島知子さんは言う。事実無根のゴシップ報道により、芸能界の表舞台から去ることを余儀なくされてから10年。昨年末から全国放送のバラエティー番組のオファーが立て続けに舞い込むようになり、にわかに「中島知子ブーム」再燃の兆しだ。かつては連日マスコミが自宅前に押しかける典型的な過熱報道に苦しめられたが、名誉毀損で訴えた裁判はすべて、2016年までに勝訴または勝訴的和解で決着を迎えている。大分・別府に移住して4年。「いつまでも虚偽報道が作り出した印象の自分でいたくはないですね。温泉効果でさらにネアカになったくらい」とほほえむ。中島さんが語る、再生までの軌跡とは。(取材・文=城リユア/撮影=戸高慶一郎/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
10年前の虚偽報道、洗脳の事実を誰も法廷で立証できなかった
2022年、大分市のラジオ収録スタジオに中島さんはいた。軽快なトークは、以前とほとんど変わらない。抜群の“しゃべくり”は健在だ。4年前に、日本有数の温泉地として知られる大分県・別府市に移住した。地元の祭りやイベントのゲストにと次第に声がかかるようになり、いまでは大分と福岡で冠番組やレギュラー番組を持っている。 「人生再出発の地に別府を選んだのは、温泉に歩いて行けるから。ほぼ毎日いいお湯を楽しんで、郷土料理もよく自炊してます。(東京の)品川や有楽町あたりで下を向いて歩いている人は、1週間くらい別府に来て癒やされたらいいのに」。そう語る姿からは、移住後の充実ぶりが伝わってくる。
「もし別府の温泉がなかったら……風評被害にハラワタが煮えくりかえりすぎて、内臓と神経がもたなかったかもしれません」 メディアへの警戒心からこれまで多くを語ってこなかった中島さん。ずっと心を痛めてきた。 10年前の虚偽報道は「ある日突然、降って湧いてきた印象」だったという。 「事の発端は、私の所属事務所からの独立交渉でした。いまでこそタレントさんが続々と独立されてますけど、当時はかなり珍しくて。交渉がこじれまくったタイミングと、私の家族とのトラブルが重なり、気づいたときにはバッシングの渦中にいたんです」 前所属事務所には育ててもらった大きな恩義をいまも感じている。だから憤りを感じるのは事務所にではなく、執拗に誹謗中傷を続けた一部のメディアと人物に対してだ。そう前置きした上で続けた。 「現在のことはまったく分かりません。ただ、かつての芸能界には独立しようとすると“洗脳されたことにされる”風潮はありました」 困り果てた中島さんは、著名人の訴訟も多く請け負ってきた弘中惇一郎弁護士に助けを求めた。過去には小沢一郎氏や元厚生労働省の村木厚子氏、堀江貴文氏、カルロス・ゴーン氏らの訴訟を担当してきた凄腕だ。 「そんなくだらない芸能界の悪習は、さっさと終わらせてしまおう。そうおっしゃった弘中先生の言葉にとても勇気づけられました」 弘中弁護士を中心とした弁護チームとともに戦うことを決めた。 名誉毀損で訴えられたメディア側は「真実、つまり本当のことであると自ら証明できた場合」、もしくは「表現した時点できちんと取材し、真実と信じたことに相当の理由がある場合」は、“表現の自由”として保護され罪には問われない。 弘中弁護士は裁判を次のように振り返る。 「被告であるメディア側の主張は法廷で何一つ立証されなかった。そもそも洗脳とは何か。洗脳というのは頭に何か違うことをインプットしたということですが、どうやって何をインプットしたのか。何のために彼女を洗脳するのか、こんなにも長期間にわたる洗脳がどうしたら可能なのか。だれひとり裁判で答えられなかったのです」 「洗脳」という響きがセンセーショナルだったため、根拠もないままに虚偽情報が広がってしまったのだろうと指摘する。