「写真家ではなくカメラマン」フィルムからデジタルへ 時代は変わっても変わらない山岸伸さんの矜持
携帯電話で日本で初めてグラビア配信
スタッフたちに給料を払いながらこの時代を乗り切る。カメラマンであると同時に経営者としての責務を果たしてきた。一方で、写真を取り巻く環境もこの間、フィルムからデジタルへと移り変わってきた。フィルム時代はカメラといえばニコン、キヤノンをはじめ、ミノルタ、ペンタックス、オリンパスといったメーカーのイメージが強かったが、デジタル時代になってからはソニーやパナソニックといった総合電機メーカーが幅を利かせるようになった。撮影したフィルムから写真をプリントする現像所は次々となくなり、最近ではSNSで写真を発表する人も増えた。 「古き良き時代、僕らの若いときは『カメラマンになりたい』という人は今より大勢いました。今は違う。人気の職業ランキングに出てきやしないです。だけれど、僕らが篠山紀信さんとか憧れの人を目指してやってきたことがスパッと切れて何もなくなるというのは寂しいなと思っていて、最後まで頑張ってみようと」
「誰よりも早くフィルムからデジタルに移行して、携帯電話でも僕が日本で初めてグラビアの配信をやったんです。会員が15万人いました。ドコモとauは、待ち受けサイトで僕がずっと1位だった。ニフティでもやりました。デジタルで写真を配信することをいっぱいやってきたので、フィルムからデジタルに時代が移り変わったと言っても僕としては何も意識していない、変わっていないんです」 90年代の終わりから2000年代前半にかけて、デジタル系の仕事は黙っていてもさまざまな企業からオファーが来る状況だったという。そして時代はさらに進んでいまやSNSが全盛だ。山岸さんは現在の状況をどう捉えているのか。 「言い方が悪いけれども、今日写真家デビューしてもおかしくない人たちがいっぱいいるじゃないですか。勇気がある人、勇気がなくても根性はある人もいる。ネットをきっかけに写真家デビューする人もいっぱい出てきているし、そういう人たちに写真を教える人もいっぱいいるじゃないですか。だけど結局どんな人が教えているのか、よくわからない場合もある。そこはちょっと雑すぎる。僕は、そこと一緒に勝負していないんで。僕はあくまでも商業カメラマンとして、お金をもらって写真を撮って、その中で、自分が何か見つけたものを大切に撮っているわけです」