「一人で乗り越えられなくても、誰かの支えがあればできる」脳梗塞で倒れたラモス瑠偉が語る、復帰までの道のり
歩くのも大変で、味覚と嗅覚もやられた。それでもみんなの支えで復帰できた
――その後、リハビリに励まれたそうですね。 ラモス瑠偉: 正直リハビリが大変でつらかったです。先生からは「言葉とかこれからどうなるかわからないし、車いすになるかもしれない」と言われました。フラフラの体のままどうにかして歩こうと、部屋のトイレを使わずに廊下にあるトイレに歩行器を使って行っていました。夜は毎日廊下を歩いたり、階段を上ったり……。本当につらかった。でも負けてたまるかという思いで、妻に支えてもらいながらリハビリをしました。付き添ってくれた妻が一番大変だったかもしれません。 あと、味覚もやられてしまいました。コーラやビール、甘いものやキムチ、ブラジルの豆ごはんとか自分が好きなものが全部食べられなくて。この時の食事は毎日同じような冷凍食品で、時々今日は違うものを食べたいなと思ってもニオイがきつくて食べられない。タバコのニオイとか香水の香りもダメで、エレベーターやタクシーもすぐに降車してしまうこともありました。いつもハンカチを鼻に当ててニオイ対策をしていました。 味覚・嗅覚の異常は1年くらい続きました。今は最初と比べたら天国です。好きなものを食べられるようになったし、嗅覚も少し良くなったし。でもやっぱり普通に歩けるようになったことが大きいです。 ――リハビリ中はどんなことが励みになりましたか? ラモス瑠偉: LDHのHIROさんや岡田武史さんと電話をしたんです。岡田さんからは「お前はリハビリだけに集中して、FC今治のアドバイザーになってくれ」とか言われました。これから私、言葉もうまくしゃべれるかどうかわからないし、力になれるかわからないから最初は断ったんだけど……みんな優しいね。 ほかにも全国いろんな人からメールや手紙が届いて、やっぱりこの人たちに自分の元気な姿を見せたいなと思いました。それに妻とまたデートしたいし、ちょうど娘が妊娠していたので孫と遊びたいなとも思ったしね。 ――その後、サッカーの試合にも出られたそうですね。 ラモス瑠偉: 2017年8月に開催された永井秀樹選手の引退試合に「ラモスさん、絶対出てください」と言われて、その試合に出るために内緒で練習をやっていました。でも先生に相談すると「わかった、10分間だけだよ。ギリギリで10分」と言われて……。10分だとボールに1回しか触れないので、結局22分間出ました。永井選手のゴールのアシストもできた。みんなに迷惑をかけたくない気持ちはあったんだけど、カズとか前園も来てくれてすごい豪華なメンバーで、とにかく楽しくて楽しくて。 まっすぐは走れてもジグザグに走るときは体のバランスが悪くなってしまうし、思いっきりボールを蹴れない。それでもやっぱり楽しいですよ。この試合に出たいという目標があって努力しましたから。自分なりの目標を決めて努力することは必要ですね。