「産後うつ」の中で国政選挙に出馬。「異色の経歴」を持つ伊藤孝恵が政治家になった理由
2016年、3歳と1歳の乳飲み子を抱えながら、日本で初めて育休中に国政選挙に出馬し、当選を果たした国民民主党 参議院議員の伊藤孝恵さん。テレビ局の報道記者から資生堂、リクルートへと転職し、大学の非常勤講師を経て政治家になった異色の経歴、そして票につながらないけど大切な政策に数多く携わる伊藤さんの姿勢に、笑下村塾代表取締役のたかまつななさんは強い関心を抱いてきたという。 【写真】「母親失格だった」元局アナが愛する我が子のダウン症を受け入れるまで 2018年に超党派ママ・パパ議員連盟を立ち上げ、こども・子育て政策を推進するとともに、「孤独・孤立対策基本法」「ヤングケアラー支援法」「特定生殖補助医療法」の議員立法、就職氷河期世代に向けた政策や内密出産に関する法整備などなど、「まだ、ここにない政策」の実現に力を入れてきた伊藤さん。彼女を突き動かすものは何なのか、たかまつさんがじっくり話を聞いた。 ※本記事は、ジャパンエフエムネットワークのラジオ番組「PEOPLE~たかまつななの政治家とだべろう~」(毎月第一日曜日午前5時~JFN系列FM29局でOA)の内容を記事化したもの。番組は12月1日放送、取材は11月18日に実施。
産後うつの時に見たFacebook広告がきっかけ
――10月の衆院選で国民民主党は議席を7議席から28議席と4倍に増やして大躍進し、政界のキャスティングボードを握っていると言われています。玉木(雄一郎)さんにも以前、この番組にご出演いただきましたが、今はおめでとうございますと言いにくい状況です(※)。 ※編集部注:国民民主党代表の玉木雄一郎議員は11月11日に知人女性との不倫が報じられ、同党は12月4日に玉木議員を3カ月間役職停止とする処分を決定した。 伊藤:本当に大切な時期に何をやっているのか……。ただ、これによって政策論議に水を差すようなことがあってはなりません。なので、影響がないように努めたいと思います。 ――まずは簡単に、伊藤さんのプロフィールを紹介させていただきます。 昭和50年生まれの名古屋市生まれ。金城学院大学を卒業後、テレビ大阪に入社されます。プロデューサーとして制作したニート(若年無業者)をテーマにしたドキュメンタリー番組で第一回TXNドキュメンタリー大賞を受賞。その後、資生堂を経てリクルートへ入社。2013年には母校の金城学院大学の非常勤講師として着任。2016年に民進党の公募候補として出馬し初当選。2018年から国民民主党に参加。2022年に再選を果たし、愛知県選挙区で初の「二期目の壁」を突破した女性議員となりました。 すごいご経歴ですね。どうして政治家になりたいと思われたのですか? 伊藤:私は不妊治療を経て2人の女の子の母になったのですが、下の子が生まれたときに一側性難聴(※)と診断されました。報道記者として障がいのある方に取材をする中で、自分にはそういった方々に対してネガティブな感情はないと思っていました。でも、いざ自分の子どもがとなったときに、ものすごくショックでした。でも一番ショックだったのは、ショックを受けた自分自身に対してでした。 そして産後うつに陥り、ある夜、眠れずネットサーフィンをしていると、Facebook広告で山尾志桜里さんと玉木雄一郎さんが民主党の候補者を公募しているのを見かけたんです。そこには「世の中には納得のいかない法律や制度がいっぱいある。それを唯一自分の手で変えられるのは政治家であり、政治家の仕事は一つだけで、子供たちの未来を作ること」と書いてありました。健康な時だったら「政治家のきれいごと」として流していたと思いますが、精神的に追い詰められていた状態だったのもあって、その言葉が妙に心に響いたんです。号泣しながら、一晩で応募書類を書き上げました。 ※編集部注:一側性難聴は左右どちらかの耳が高度に難聴である状態を指す。音の方向や距離感がつかみにくいため、聞き逃しや聞き間違いなどがあり、耳鳴りや補充現象(音の感じ方が敏感になる現象)、めまいなどの症状を伴うこともある。「聞こえる人」であるため、身体障害者手帳、補装具支給、障害者雇用などの支援が受けられない(参考:片耳難聴の情報・コミュニティサイト「きこいろ」)。